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東野圭吾の新作 松本清張の世界を思わせる古典的ストーリー

【書評】『祈りの幕が下りる時』/東野圭吾著/講談社/1785円(税込)

【評者】川本三郎(評論家)

 バブル経済の時期には、理由のない快楽殺人を描くミステリーが多かった。しかし、経済が停滞してくると、また貧困が原因となる理由のある殺人がリアリティを持ってくる。

 東野圭吾の新作は、犯罪の背後に、犯人の経済的苦境が浮かび上がってくる古典的ミステリー。松本清張の世界を思わせる。東京の下町の安アパートで四十代の女性が殺される。捜査が始まり、この女性は滋賀県の彦根から東京に旅行でやって来たと分かる。

 彦根の女性がなぜ縁のない東京で殺されたのか。しかもおかしなことに、遺体が見つかったアパートの部屋に住んでいた男性は行方不明になっている。

 他方、やはり東京の荒川の河川敷でホームレスの死体が発見される。二つの事件は現場が近い。関連があるのか。

 一方、事件とは別に、東京の明治座で上演される芝居を手がける四十代の女性演出家が登場する。彼女にとっては初の大舞台の演出になる。アパートでの殺人。河川敷での殺人。さらに気鋭の演出家。さらにこれに、事件を追う刑事が重要な人物になる。

 松本清張のミステリーの特色は、成功した人間が、人に知られたくない、暗い過去の秘密を持っていて、それを知る人物が現われた時に、やむなく殺人を犯してしまうこと。いわば追いつめられた殺人、理由のある殺人。『ゼロの焦点』『砂の器』、短篇の『顔』『共犯者』などとくに初期の作品に多い。いまは恵まれた生活をしている人間が、貧しい時代、苦しい過去を知られたくないために秘密を知っている人間を殺してしまう。だから、どこか悲しい。

 東野圭吾の新作も、この形を踏襲している。人知れぬ苦境を乗り越えてようやく栄光の日を迎えようとしている時に、過去を知る人間が現われてしまった。

 このあたりの展開はとくに清張の『砂の器』によく似ている。犯人となる親子がかつて世間から身を隠すために旅を続けるところは完全に『砂の器』。バブル経済が終わり、長い経済不況が続くなか、清張の時代の「貧乏ゆえの殺人」が新しい必然性を持ってきているのだろう。

 逃げ続ける人物は「原発渡り鳥」になって原発で働く。そこなら身許を隠すのが容易だから。ここには清張の時代にはなかった現代の闇がある。子供を逃がし、生かすために自ら犠牲になる父親が泣かせる。

※SAPIO2013年11月号

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