軍艦のプラモデルが売れているという。2013年後半は前年比で5~6倍にもなったと言われている。数多くの魅力的な軍艦のなかから、カメラマンの宮嶋茂樹氏が推薦するのは最後まで大和を守りつづけた高速鑑「矢矧(やはぎ)」である。
「1943年に竣工した軽巡洋艦『矢矧』は当時秘密の軍艦で一般人には名前すら知られていなかった。8000トンの軍艦なのに船速が37.5ノットもあり、モーターボートに乗っているような感覚だった」
砲撃の照準を担う測的長として「矢矧」に乗り組んでいた池田武邦氏がこう語るように、快速を生かし空母や戦艦の護衛役として地道に活躍した。
「『大和』の露払いとして有名だが、実は満身創痍になりながらも毎回、必ず手柄を立てた賞賛すべき艦艇です。モーターボートのような機動性を優先すべく装甲を薄くし、現代の高速艦の嚆矢となりました」(宮嶋氏)
坊ノ沖岬海戦では1時間以上も米軍の猛攻を受けながら、「矢矧」が沈んだのは、世界最大の戦艦・大和が沈没するわずか10数分前だった。
「最後まで『大和』を援護する忠勇ぶりを発揮するも戦後の評価は低く、映画『男たちの大和』でもまったく話題にならなかった。縁起のいい艦艇なので、将来、海上自衛隊の護衛艦が『やはぎ』と命名されることを願っています」(宮嶋氏)
※週刊ポスト2014年1月24日号