ライフ

宮本輝の新作 小説の核が浮かびそのまま題が決まる稀な作品

【著者に訊け】宮本輝さん/『田園発 港行き自転車(上・下)』/集英社/各1728円

【解説】東京で自転車メーカーを経営していた賀川直樹は、15年前にJR北陸本線の滑川駅で謎の死を遂げた。絵本作家となった娘の賀川真帆、東京から故郷にUターンした脇田千春、その元上司の川辺康平、京都でお茶屋バーを営む甲本雪子…。かかわりがなかったはずの人々の人生が交差した時、直樹が残したものの正体が富山の海と田園を背景に浮かび上がる。「今の日本はどこも同じような景色になっちゃったでしょ。だけど富山は、紛れもなく富山ですよ」(宮本輝さん・以下同)。

 量販店の看板のない国道。ゴミ一つない川べり。海に沈む夕日と、それに照らされた稲穂。実際に旧北陸街道をのんびり自転車で走ってみたくなるような長編小説だ。

「最初の取材で黒部川のほとりに立った時、右側に立山連峰、左側に富山湾、海がずっと下のほうに見えたんです。これだけ勾配がきついと、自転車に跨がったら一度も漕がずに漁港まで行けるだろうな、気持ちいいだろうなあと思って。そしたら主人公らしき人が、田園を自転車ですーっと下っていくのが見えた。珍しいですよ、小説のコアになる部分がはっきり浮かんで、そのまま題が決まるというのは」

 富山という土地は芥川賞受賞作『螢川』の舞台でもあり、大長編『流転の海』やエッセイ集にも度々登場する。小学4年生の時に富山市で1年余りを過ごしたことが、その原体験となっている。

「父が商売に失敗して、一家で引越してきたんです。父だけは大阪に戻って、たまに生活費を持って富山に帰ってくる。天気が良い日は朝5時くらいにおふくろがおむすびを作ってくれてね。それを括り付けて父と自転車で田園地帯を、まあ行き当たりばったり。夏休み中に4、5回はそんなことがあったかな。今回、それですぐにサイクリングということを思いついたんでしょうね。そうでなければ、富山だからって別に自転車乗る必要ないもの。魚釣りだって、トンボ追いかけたっていいわけで」

 物語は主に5人の人物の視点から描かれ、富山の風物を背景にそれぞれの人生がやさしく重なり合う。住んでいる土地も世代もばらばら、誰に感情移入するかは読み手次第。

「どうしてこういう物語になったのか、説明するとしたらシュポンターン。ドイツ語にそういう言葉があるんです。もとはラテン語で、辞書を引くと『偶発的な』とか『自発的な』と書いてある。正反対の意味の訳語ですよね。偶然なんだけどまったくの無作為ともいえない、何気なくふっと湧いて出る、というようなことらしい。今回はまさにそのシュポンターンの積み重ねで成功した、ぼくとしても稀な例だと思います」

 2012年の元日から約3年間、北日本新聞に連載。取材として新たに富山を10回以上訪れたが、意外にも自転車には乗らなかったという。

「そんなしんどいことしません。随分前に息子とシルクロードに行った時は、ウイグル族の村で自転車を借りましたけど。息子が驚いてたなあ、『お父さん、自転車乗れるの?』って。アホ、小さい時よう後ろ乗せて買い物行ったやろと。まあぼくも、父と富山でサイクリングしたことは50年以上思い出しもしなかった。不思議なもんです」

(取材・文/佐藤和歌子)

※女性セブン2015年5月14・21日号

関連記事

トピックス

5月8日、報道を受けて、取材に応じる日本維新の会の中条きよし参議院議員(時事通信フォト)
「高利貸し」疑惑に反論の中条きよし議員 「金利60%で1000万円」契約書が物語る“義理人情”とは思えない貸し付けの実態
NEWSポストセブン
殺害された宝島さん夫婦の長女内縁関係にある関根容疑者(時事通信フォト)
【むかつくっすよ】那須2遺体の首謀者・関根誠端容疑者 近隣ともトラブル「殴っておけば…」 長女内縁の夫が被害夫婦に近づいた理由
NEWSポストセブン
曙と真剣交際していたが婚約破棄になった相原勇
《曙さん訃報後ブログ更新が途絶えて》元婚約者・相原勇、沈黙の背景に「わたしの人生を生きる」7年前の“電撃和解”
NEWSポストセブン
なかやまきんに君が参加した“謎の妖怪セミナー”とは…
なかやまきんに君が通う“謎の妖怪セミナー”の仰天内容〈悪いことは妖怪のせい〉〈サントリー製品はすべて妖怪〉出演したサントリーのウェブCMは大丈夫か
週刊ポスト
令和6年度 各種団体の主な要望と回答【要約版】
【自民党・内部報告書入手】業界に補助金バラ撒き、税制優遇のオンパレード 「国民から召し上げたカネを業界に配っている」と荻原博子氏
週刊ポスト
グラビアから女優までこなすマルチタレントとして一世を風靡した安田美沙子(本人インスタグラム)
《過去に独立トラブルの安田美沙子》前事務所ホームページから「訴訟が係属中」メッセージが3年ぶりに削除されていた【双方を直撃】
NEWSポストセブン
エンゼルス時代、チームメートとのコミュニケーションのためポーカーに参加していたことも(写真/AFP=時事)
《水原一平容疑者「違法賭博の入り口」だったのか》大谷翔平も参加していたエンゼルス“ベンチ裏ポーカー”の実態 「大谷はビギナーズラックで勝っていた」
週刊ポスト
阿部詩は過度に着飾らず、“自分らしさ”を表現する服装が上手との見方も(本人のインスタグラムより)
柔道・阿部詩、メディア露出が増えてファッションへの意識が変化 インスタのフォロワー30万人超えで「モデルでも金」に期待
週刊ポスト
中条きよし氏、トラブルの真相は?(時事通信フォト)
【スクープ全文公開】中条きよし参院議員が“闇金顔負け”の年利60%の高利貸し、出資法違反の重大疑惑 直撃には「貸しましたよ。もちろん」
週刊ポスト
店を出て並んで歩く小林(右)と小梅
【支払いは割り勘】小林薫、22才年下妻との仲良しディナー姿 「多く払った方が、家事休みね~」家事と育児は分担
女性セブン
大の里
新三役・大の里を待つ試練 元・嘉風の中村親方独立で懸念される「監視の目がなくなる問題」
NEWSポストセブン
テレビや新聞など、さまざまなメディアが結婚相手・真美子さんに関する特集を行っている
《水原一平ショックを乗り越え》大谷翔平を支える妻・真美子さんのモテすぎ秘話 同級生たちは「寮内の食堂でも熱視線を浴びていた」と証言 人気沸騰にもどかしさも
NEWSポストセブン