全体に暗く、寒々としている。空はどんよりと曇り、そのなかで異様な連続殺人が行なわれてゆく。他方、警察権力の内部には暗闘がある。
日本でも大評判となったイギリスの作家トム・ロブ・スミスの『チャイルド44』がリドリー・スコットの製作で映画化された。監督はスウェーデン出身のダニエル・エスピノーサ。旧ソ連時代に起きた実際の連続殺人事件を描いている。
犯人は十数年犯行を繰返し、五十人以上の行きずりの人間を残虐に殺害した。全編、暗さにおおわれ、派手なアクション映画とはまるで違う、ロシアの森の奥のような不気味さがある。
一九五三年。スターリン体制の暗黒の時代。子供の殺人事件が連続して起る。秘密警察の有能な捜査官レオ(トム・ハーディ)は事件を探ろうとするが許されない。スターリンの「殺人はブルジョア社会で起るもの。共産主義社会という理想の国であり得ない」という奇妙な考えから、上司は、事件を殺人事件と認めず、事故として処理しようとする。
あくまで殺人事件と考えるレオは組織のなかで孤立する。そればかりか、妻のライーサ(「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」のノオミ・ラパス)が反体制運動に関わっていることが秘密警察に分かる。レオは妻をかばったため、夫婦は地方の町へ飛ばされる。
その間にも、子供を狙った残忍な殺人事件は続く。殺人は、森のなかで行なわれる。広大な国土には人目に触れない森は無限にある。
レオは正義感から、単独で犯人を追う。妻は必死でとめる。「この国では真相を求めるのは危険よ」。スターリン体制に少しでも異を唱える者は、たちどころに粛清される時代だった。問答無用の逮捕、拷問、強制収容所送り、処刑。
この映画をおおう暗さは、スターリン時代の暗さのあらわれでもある。そして、謎の犯人による連続殺人は、国家権力による粛清(=殺人)の反映でもある。
孤立無援だったレオだが、ようやく町の警察署長(ゲイリー・オールドマン)の協力を得る。一方、モスクワの秘密警察本部は、「ソ連には犯罪はない」というスターリンの“憲法”に逆うレオを捕えようとする。殺人犯を追うレオが、権力に追われる。その闘いのなかで犯人を見つけることが出来るか。
一九三〇年代、スターリンの工業優先の政策の犠牲になり、ウクライナの農業地帯で六百万人の大量の餓死者が出た。その悲劇が背景になっている。理想の国の現実はいかに過酷だったか。原作はロシアでは出版禁止。映画の撮影はチェコで行なわれたという。
●文/川本三郎
※SAPIO2015年8月号