現在、安保法案を巡って国会周辺で頻繁にデモが繰り返されているが、安保闘争で幕を開けた1960年代に同時代を方向づけたのは、社会に吹き荒れた「安保騒乱」の責任を取って退陣した岸信介首相の後継である池田勇人が掲げた「国民所得倍増計画」だった。高度経済成長が波に乗っていた1960年代、長者番付にはどのような人物がランクインしていたのか?
無名の一般女性がいきなり3位(申告所得額=5億3090万円。1960年代の国家公務員の初任給は1万800円~3万1306円)に登場したのが1968年度。岡本和子は「満州太郎」「アラビア太郎」と呼ばれた実業家・山下太郎の一人娘だ。
山下は1922年、南満州鉄道の社宅建設を手掛けて巨利を得たが、敗戦で無一文に。しかし1957年、サウジアラビアのカフジ地帯の油田発掘権獲得に成功し、アラビア石油を設立。試掘1号井でいきなり石油を掘り当て「時代の寵児」と持て囃された。
1967年、山下の死去により莫大な遺産を引き継いで番付に初登場したのが和子だったが、同時に当時としては最高額の31億5000万円もの相続税を課せられた。
1969年度は、1億円以上の所得を得た億万長者が前年の10倍に増える一方、上位から大企業の創業者らが減り、代わって地主などの「土地長者」が台頭した。背景にあるのが同年4月の土地税制改正だ。
1960年代は大都市圏に人口が集中し、住宅地価格が急上昇した時代で、政府は土地(住宅)供給を増やすため、土地を売る地主に優遇措置を与えた(土地売却代金への課税が他の所得と切り離され、一律10%に)のである。
そんな土地長者の一人である佐々木真太郎・新日本観光興業社長が1969年度の1位(同21億8015万円)となった。照明器具の製造販売を手掛けていた佐々木は、次に観光事業に目を付けた。神奈川、静岡、埼玉などに2000万坪の土地を所有し、1950年頃からゴルフ場の造成に乗り出す。新日本観光を設立したのは1957年だ。
「佐々木は元衆院議員で、後にフォーブスの『日本の億万長者』の常連となる糸山英太郎の実父です。前年600万円しかなかった所得が21億8000万円に激増して1位に躍り出た。理由は終戦後、1坪6円で買った静岡・伊東市の土地110万平方メートルを伊藤忠不動産販売に1坪5000円で売却したためです。この時、佐々木は『臨時のボーナスに過ぎません。金儲け主義じゃない』と釈明した」(経済ジャーナリスト・舘澤貢次氏)
(文中敬称略)
※週刊ポスト2015年9月25日・10月2日号