新国立競技場の“やり直し”コンペが終了し、新たな設計者が決定し、あとは完成に向けてまっしぐらとなることだろう。しかし、前回のコンペは日本の建築史上最大の汚点となると懸念するのは批評家・浅田彰氏だ。
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私は建築の専門家ではありませんが、伯父が丹下健三研究室のマネージャー役だったこともあり、建築については常に興味をもって眺めてきました。その観点から見ても、いや社会問題として見ても、新国立競技場を巡る問題はひどいと言うほかありません。
まず国際コンペが行われ、安藤忠雄を委員長とする審査委員会がザハ・ハディドの案を選んだ。設計会社とゼネコンが加わってその案を具体化していったところ、1300億円の予算を大きく超える2500~3000億円の費用が必要だとされた。
初期の案を縮小してもその額が一向に減らない。その過程が延々と続いたあげく、とうとう安倍晋三首相が白紙からの見直しを指示した。「首相の英断」と言いたいところだろうけれど、実は問題は悪化しこそすれ何ら改善されていません。
イラクで生まれ、ロンドンで学んだザハが一躍有名になったのは1983年の香港のピーク・レジャー・クラブのコンペで選ばれたときのことでした。
実は、最終選考には残っていなかったザハの案を拾い上げ、審査員たちを説得して最優秀賞に選んだのは、日本を代表する建築家・磯崎新です。これはアンビルト(未建築)に終わりましたが、それはクライアントの財政危機が原因です。
ザハにはその後もアンビルトの案がいくつもあるけれど、ローマの国立21世紀美術館をはじめ、注目すべき建築もたくさん建ててきています。
彼女の建築の中では新国立競技場案はとくにいいとは思えなかったものの、悪いわけでもなく(ただし縮小案は当初の魅力を失っている)、当選したのもおかしなことではありません。
むしろ本質的な問題は、これが大まかなコンセプトとイメージをもとに「デザイン監修者」を選ぶコンペだったことです。選ばれた「デザイン監修者」は、日本の設計会社およびゼネコンと言われる元請け建設会社と組んで具体的な設計案を作る。そこではむしろ日本側が主体であり、ザハは「監修者」に過ぎません。