「私自身、毎朝パンを食べていて、もっと美味しく焼けないかなと常々思っていたんですよ」と言い、「パンフレットを見て欲しい」と続けた。そこには美味しそうなパンの写真がズラリと並ぶ。
「家電メーカーなのにパンの写真ばかりが目立っていてちょっと変でしょう? そこなんです。今の時代、人は商品・モノを買うことよりも、モノを介して手に入る『体験』そのものを欲しているのではないかと思う。そうだとすれば、心地よい体験を提供する道具を作れば必ずヒットするはず、と考えました。美味しいものを食べる行為ってまさしく、五感の全てを使った最高の『体験』ですからね」
寺尾社長は同時に、「トースターで勝てる道筋は見えていた」とも。「マーケッターとしての勘が働いたんです。これまで手がけてきた扇風機と似ている、と思ったから」
ここでバルミューダという会社の足跡を少し説明する必要があるだろう。同社の名が一躍有名になったのは6年ほど前。3万円を超える高価格扇風機「GreenFan」を発売、大ヒットを飛ばしてからだ。自然の風に似た心地よい空気の流れを作り出す省エネ扇風機は市場に革命を起こした。大手から中小まで家電メーカーはこぞって「高級扇風機市場」へとなだれ込んでいった。
その後、同社は空調家電を中心にラインナップを拡充してきたが、いよいよ次の一手として「渾身の一撃」を繰り出したのだ。それがこの2万円超の「ザ・トースター」だ。
心地よい「体験」が得られるのであれば、消費者は値段が高くても買ってくれる。「体験」は暮らしを豊かにしてくれるから。バルミューダはその鉱脈を掘り当てた。扇風機やトースターという「使い古された」道具を徹底的に一から問い直すことによって。
苦しむ日の丸家電に今不足しているのは、こうした根源を問い返す骨太なクリエイティビティかもしれない。あるいは、社員の創造性を実際の製品開発につなげていくしなやかさ、柔らかさ、かもしれない。この先はどうか。
「キッチン家電をさらに展開させていきます。あわせて、次世代の家電についてのアイディアを温めています」
寺尾社長の言う「次世代」とは何を意味するのか。
「この製品はいわばトースターの中に小さなロボットが入ったようなもの。僕が考える次世代の家電も、そうしたイメージの延長にあります」
トースターとロボットとの融合。手で水を入れるアナログ動作とアルゴリズム処理との合体。モノの手触り感と人工知能とのコラボレーション。異種の二つをしなやかに組み合わせた時、忘れられていた過去の道具は、豊かな体験を生み出す魔法の箱に変身する。
【PROFILE】山下柚実●やました・ゆみ 五感、身体と社会の関わりをテーマに、取材、執筆。4月に増補文庫版『なぜ関西のローカル大学「近大」が、志願者数日本一になったのか』を刊行。その他、『都市の遺伝子』『客はアートでやって来る』 等、著書多数。江戸川区景観審議会委員。
※SAPIO2016年5月号