心のケアを象徴するのが、AIBOの合同葬儀だ。そりゃ、面白い。知人のソニーOBを通して、その葬儀を持ちかけられた瞬間、千葉県いすみ市の光福寺の大井文彦住職は直感した。これまで乗松さんを喪主として3度の葬儀を執り行い、計111体を弔った。大井住職はいう。
「日本人は山や海、木だけでなく、針や台所道具、鉄にだって魂が宿ると考えます。つまりすべては人間と繋がっている、と。だとしたらAIBOに心があると考えてもおかしくはないんです。しかもAIBOは飼い主の接し方で性格が変わる。飼い主の心を映す鏡なのかもしれません」
なかには亡くなった両親が可愛がっていたので捨てるに捨てられないと持ち込まれたAIBOもあった。
「飼い主の方々は様々な思いをお持ちでしょうが」と前置きしてから大井住職にとってAIBOの弔いは「知的で高度な遊び」と語る。
遊び心──。
それが、いまの家電メーカーに失われたけれど、かつて世界を席巻した日の丸家電を支えた原動力だったのではないか。乗松さんはソニー時代をこう振り返る。
「かつてソニーは、エンジニア1人1人の思い入れやアイディア……遊び心を大切にしてくれました。1990年代までは会議ではお客さまをどう喜ばせるか、そんなことばかり本気で話し合っていました。しかしいつの間にかサムスンに負けた、LGの売り上げが良かったという話題ばかりになってしまった。利益や効率、コスト……金儲けの話ばかりになってしまったんです」
間近で見るまで、AIBOをただのおもちゃだと思っていた。しかし役に立たないことに大の大人が本気になるのが“遊び”である。
いま介護や情操教育の現場で”ロボットセラピー”という言葉も聞かれるようになった。それは「エンタテインメントロボットのプロトタイプ」と呼ばれるAIBOの存在を抜きには語れない。開発者たちの本気の遊びが、これからの新たな可能性を示したといえる。乗松さんはいう。
「原点に戻ろうと社名を『ア・ファン』にしたんです。自分が楽しめなければ、お客さまに楽しんでもらえて、しかも世代を超える製品なんて作れませんから」
※SAPIO2016年6月号