憧れのプロ野球選手にまつわる品は、ファンならもちろん、プロ野球選手自身にとっても貴重な「お宝」だ。1964年、東京五輪の年に「マッシー村上」として、サンフランシスコ・ジャイアンツの投手としてメッツ戦に登板し日本人初の大リーガーとなった村上雅則氏(72)に、当時、自分で書いたサイン入りのウインドブレーカー、帽子、バットとボールという「お宝」を紹介してもらった。
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僕が初めてサンフランシスコ・ジャイアンツで投げたのは1964年。東京五輪の年です。当時のMLBは試合後ボールをスタンドに投げ込んでおり、ウイニングボールを残す習慣がなかった。だからMLBで日本人初の勝利投手となった試合はもちろん、初セーブや初ヒットのボールもない。
手元にあるのはシンシナティ・レッズ戦(1965年9月20日)でセーブを挙げた時のボール1個だけ。他には日本人として初めてルイビルスラッガーと契約した時のバット、当時の帽子とウインドブレーカーくらい。もう少し持ち帰ってくればよかったと後悔しています(苦笑)。
ただ、日本から色紙を持ち込んでいたので、ジャッキー・ロビンソン(近代メジャーリーガー初の黒人選手)やロベルト・クレメンテ(首位打者4回、3000本安打を記録した中南米系選手の先駆け的存在)など、当時のスーパースターのサインは50枚ほどあります。いずれも半世紀前のいい想い出ばかりですよ。
撮影■山崎力夫
※週刊ポスト2016年10月7日号