リオデジャネイロパラリンピックの閉会式セレモニーには、様々な障害のある人たち、義足のファッションモデルやダンサーがいた。その義足をファッションのひとつとして表現し、障害者がみずからモデルとなるショーがある。義肢装具士の臼井二美男さんの著書「転んでも、大丈夫 ぼくが義足を作る理由」(ポプラ社)で構成を担当したライターの高樹ミナさんが、バリアフリーなファッションショーが生まれ、広がったこれまでを振り返る。
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10月10日・体育の日に東京都港区の六本木ヒルズで異色のイベントが開かれた。その名も「バリコレ2016」。パリコレならぬバリコレとは、障害者をモデルに起用したバリアフリーコレクションの略称だ。
NHK Eテレで2012年にスタートした障害者の情報バラエティー番組「バリバラ」のイベントで、身体、視覚、知的障害者や発達障害の子どもたち、LGBTに代表されるセクシャルマイノリティーなど、現代社会で“生きづらさ”を抱える人々がモデルを務める。その中には記憶に新しいリオデジャネイロパラリンピックの日本代表選手や過去のパラリンピックのメダリスト、2020年東京大会期待の若手選手らの姿も。障害をあえて前面に押し出した個性あふれる衣装を着た総勢50人が堂々のランウェイで会場を沸かせた。
◆バリコレに先んじて生まれていたファッションショー
一見、突拍子もないこの企画に先駆けて、義足を前面に出して魅力を伝えるファッションショーを実現していた人達がいた。彼の名は臼井二美男(60)。日本におけるスポーツ義足づくりの第一人者だ。
義肢装具士として33年のキャリアを持つ臼井さんは、病気や事故で足を失った人の義足を作り続ける中で、ユーザーの希望を叶える数々の義足を考案してきた。例えば、好みの絵柄にできる義足や走れる義足、ミニスカートやハイヒールが履けるリアルコスメチック義足や妊婦も履けるマタニティー義足などがそう。いずれも障害があってもおしゃれを楽しみたい、好きなスポーツを続けたい、お腹が大きくなっても人の手を借りずに生活したいという、ポジティブな女性たちの思いを大切にするためだ。
「足をなくして生きる希望を失った人の多くが、一度は死にたいと言います。そんな患者さんたちが何とか立ち上がるきっかけを義肢装具士として作ってあげたい。一番いいのは自分を表現できる場所があること。それはスポーツでも芸術でも、ファッションでもいいのです」
そう話す臼井さんの周りには、義足をあえて露出することで、「障害は隠すもの」という世の中の偏見を打ち破りたいという女性が何人かいた。そんな勇気ある彼女たちの思いを形にすべく、臼井さんは2000年シドニーパラリンピックから障害者スポーツを撮り続けている写真家の越智貴雄さんと相談し、義足の女性をモデルに写真を撮ることにした。