西の西陣、東の桐生といわれるほど、全国でも有数の織物産地である桐生市。最盛期の明治・大正時代には世界に市場が広がり、日本経済を支えてきた。そんな桐生で目を引くのが、かつて織物工場だったノコギリ屋根の建物。今は新たな魅力を発信している。
大正2(1913)年創業の『岩秀織物』。現在は金襴を使った全国のお守り袋を織っており、ガイド付きツアーでは、その作業現場を見ることができる。
“かかあ天下と空からっ風”といわれるように、群馬の冬は冷たく乾燥した風が吹く。この厳しい環境の中で桐生の女性は家の中で蚕を育て、機織で一家の生計を支えてきた。
これに対して男性が「うちのかかあは天下一」と自慢したことから“かかあ天下”という言葉が生まれたという。
そんな歴史の残る桐生の織物の歴史は、およそ1300年。続日本紀では奈良時代に、朝廷に絹が献上されていたと記されており、絹織物の技術を持った職人が桐生に移り住み、江戸時代、徳川文化の爛熟期には、金襴緞子など高級美術織物として成長してきた。
「明治以降は、取引先が世界に広がって、やがて織物の輸出シェアの大部分を桐生が占めるようになり、日本経済を支えてきました」
と言うのは、桐生の産業観光や地域活動のサポート会社『桐生再生』代表の清水宏康さん。
「今も残る“ノコギリ屋根”の建物は、明治・大正時代に絹織物工場として活躍しました。屋根の北側に窓を作り、自然光が入るように工夫されています。
この造り方は、イギリスの産業革命以降にできたもので、それを桐生でもとりいれたのです」(清水さん・以下同)
最盛期には350棟以上あったが、終戦とともに絹織物産業は下火になり、工場の3分の1は解体。残りの4分の1が織物工場として稼働していた。
「空き家となったノコギリ屋根の工場を、観光に生かせないかと10年以上前に再利用を開始。赤レンガの建物はパン屋に、大谷石という石材の建物は貯蔵に向いているだろうと、ワイン蔵になりました。いずれも街歩きでご覧いただけます」
カフェに生まれ変わったところもあり、店内ではコーヒーなどを飲みながら、ふきぬけの天井など、建物の構造を眺めることができる。
「土日には、無料の電動バス『MAYU』が利用できます。名所を巡るこのバスは、地元の人たちの足としても活躍しているんですよ」
もちろん、今でも織物技術は世界トップクラス。ヨーロッパの高級ブランドのスカーフやマフラー、ショールなども製造しており、織物の歴史を学びに、桐生織物記念館を訪れる人も多いようだ。
撮影/菅井淳子
※女性セブン2018年1月18・25日号