「せめてナレーションなどで『その後復帰してカムバック賞を受賞した』とフォローすべきですし、VTRを挟むことだってできる。番組だけ見た人は、2か月半しか活躍していなかったように感じる構成でした」
伊藤智仁が特集されたこの日の『消えた天才』は、高視聴率を記録したという。
「正月だったこともあり、1部が10.7%、2部が13.1%でした。ネットニュースにも何本も取り上げられて話題になっていました。批判記事も出ていましたが、番組はそれを正面から受け止めることはなかったのかもしれません。この時、兆候に気付いて軌道修正していれば、その後の問題は起こらなかったでしょう。
今回の映像加工にしても、VTRの試写をするプレビューには、プロデューサーやディレクター、作家などが集まっているはずですから、誰かが気付いてもおかしくない。むしろ、何人も見過ごすほうが不自然だと思います」
テレビの制作現場では、こうした事態が毎年のように明るみになっている。なぜ、このような過剰な演出はなくならないのか。
「番組の中で、先に結論を作って、そこに合わせて理由付けをしていく作り方をしているからでしょう。調べていけば、必ず矛盾するようなことが出てきます。しかし、あらかじめ番組で決められた“結論”があるから、そこに合わせないといけない。調べる時間も限られている中で、矛盾を解消するため、自分たちに都合の悪い事実は消していく。伊藤智仁のプロ生活もそうですし、今回の球速を2割増で速く見せた映像も同じです。『もっとボールが速ければ、凄い投手と思われる。スピードを上げてしまおう』と考え、結果的に事実と異なる印象を与えるような構成になった。最もやってはいけないことです」
同じテレビマンでも、世代間のギャップが今回のような問題を生んでいるのではないか、という指摘もある。
「上層部やプロデューサーがネットにあまり触れていないとしたら、時代の変化に気付いていない可能性がある。彼らが、数十年前のテレビの感覚で指示を出すと失敗する。煽りに煽って、少々矛盾があっても数字さえ取れればいいという気持ちが内心あるのでは。
しかし、今はネットがあるので、矛盾点があったらすぐにSNSなどで指摘される。制作陣が扱う分野に精通していない場合、視聴者のほうが詳しいことなんてザラにあります。以前は声を上げる場所がなかったから見過ごされてきたことも多々ありましたが、今は時代が変わった。上に立つ人間がそこに気付かず、自分の作った“結論”に固執して、それに合わせたVTRを若いディレクターに作らせるなら、これからもまた同じような問題が起きると思います」