「えらい」は、三重県では「疲れた」「たいへんだ」といった意味ですが、標準語では「偉い」という意味になってしまうおかげで、それこそえらい目に遭いました。友達が「今日は遠くまでバイトに行った」といった話をしたときに、たいへんだったねとねぎらうつもりで「それはえらかったね」と返したら、なぜか相手はムッとしています。
似たようなことが何度かあったものの、自分ではなぜムッとされるのかわかりません。ある日、ひとりの友達に「おい、なんでお前が偉そうに『えらかった』って言うんだよ」と言われて、自分がやらかしていたことの恥ずかしさに気が付き、血の気が引きました。そういう不遜なことを言うヤツだと思われていたなんて……。あわてて「そ、そうじゃなくて『えらい』というのは」と全力で否定しました。
ことほど左様に、言葉の意味というのは誤解されがち。たいていの場合は笑い話で済みますが、誤解が原因で人間関係が壊れることもあるでしょう。
「てっきり標準語だと思い込んでいた方言」は、私たちに大切なことを教えてくれます。こっちにとっては腹が立つ発言でも、相手はそんなつもりで言っていない可能性がある。自分としてはよかれと思って言ったことも、相手が違う意味で受け取ることもある。自分の「当たり前」と相手の「当たり前」は違う……。それこそ大人として「当たり前」の前提ですが、つい忘れがち。「あっ、この言葉は方言だったんだ」と気付くたびに、あらためて認識しましょう。
昨今、SNSが広まったせいかヒマな人が多いのか、誰かの失言とか刺激的なポスターとか、いろんなものに噛み付きたい人がますます増えています。「相手はそんなつもりじゃないかもしれない」と思えば、無駄な怒りを抱く必要もありません。仕事上のちょっとした食い違いもしかり。ほとんどのことは、そうやって適当にスルーすればいい話です。お国言葉は、ものすごく遠まわしに、とかく怒りっぽくなっている私たちを諭してくれているのかも。ああ、ふるさとは、やっぱりありがたいですね。