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2020.08.24 16:00  週刊ポスト

現代芸術の本質は「社会問題になること自体を目的とした愚行」

田中一村のびょうぶ絵(写真/共同通信社)

 美術や芸術について論じるのは難しいが、なかでも現代芸術については難解だ。評論家の呉智英氏が、現代芸術の本質とは何か、芸術とはいかなるものかについて論じる。

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 コロナ禍はさまざまな分野に影を落としている。

 夏も終わろうとしている今、昨年まで各地で催されてきた花火大会のほとんどが中止に追い込まれている。むろん三密を避けるためだ。一部の地方では、開催場所を予告せずハプニング的に何発かの花火を打ち上げることも行なわれた。これはこれで面白い試みではあるが、やはり本来の花火大会に較べれば魅力は半減である。

 花火大会は例年日本中で約四百箇所で開催されている。恒例化し親しまれすぎているために気づかないが、これは壮大な「現代芸術」である。三年前まで私が住んでいた隣町では、毎年六月に川原で花火大会が開催される。費用は協賛金と公費でまかなわれるため観覧料不要で、その日は町の人口が二倍になるほど人が集まる。私もほぼ毎年鑑賞しているが、その見事さには感動する。花火の発色も形も毎年進化し、全体のストーリーもコンピューター制御で緻密に作られ、伝統技術の上に花開いた現代芸術だと実感した。

 現代芸術と言えば、ちょうど一年前、昨年八月の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」を思い起こす読者も多かろう。私も本欄でこの愚行を強く批判しておいたし、今なおこの愚行の責任をめぐって議論が続いている。

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