しかし、秋本氏が認めたのはあくまで“事実上”のこと。はっきり認めたわけではない。「発言はあったのだろうというふうに受け止めている」ということは、“そう言われたからきっとそうなんだろう”という感覚・認識であり、“思い出した”でも“記憶違いだった”でもない。「虚偽記憶」の逆バージョンのテイを装い、発言の変遷を「記憶力不足」として反省し、辻褄合わせをきちんとしているのだ。
虚偽記憶とは、実際に経験していないにもかかわらず、それがあたかも起こったことのように思い出してしまうことをいう。記憶はすり替わるのだ。後から何らかの情報が与えられると、その情報と辻褄が合うように記憶が変化することもある。それも意識せずにだ。証言において、誘導尋問が問題視されているのはこのためである。人が無意識のうちに記憶を都合よく書き換えてしまうなら、秋本氏のようにあった事実が無かったかのように思い出されても不思議はないと言えてしまう。
とはいえ、「記憶にない」と聞けば、嘘をついていると思うのが一般的な捉え方だろう。当初4人と見られていた会食参加者は13人となり、衛星放送認定の更新直前にも会食していたことが判明した。接待回数や会食に参加した経営陣の顔ぶれ、東北新社子会社の番組だけハイビジョン未対応で認定されたと知れば、総務省の幹部らが誰1人として利害関係者と認識できなかったなどあるはずがなく、やはり行政が歪められたのではと勘繰りたくもなる。
結局、会食に参加していた東北新社の二宮清隆社長は26日引責辞任し、同社メディア事業部の統括部長を務める菅首相の息子も人事部付に更迭された。武田良太総務相は24日の記者会見で、「法令違反への認識の甘さ、知識不足が大きな要因」と陳謝したが、省庁の幹部にまで上り詰めた人たちの知識不足など、誰が納得するだろうか。つまるところ、“世間の常識は永田町の非常識”なのかもしれない。