そんな松村が主演の一人を務めた『ライアー×ライアー』。本作の企画は、『坂道のアポロン』で松村と出会い、松村の芝居への熱い思いに触れたプロデューサーが「松村北斗を主演にして、何か企画を立てられないか?」と提案したことから始まったという。耶雲監督は、「本作で松村君が演じる透役は、松村君自身のパーソナリティと重なる部分がありますし、この役って難しいと思うんです。“一人二役”的なところがある。彼の芝居への前向きな姿勢は、このハードルも超えられるのではないかということで、“『ライアー×ライアー』と松村北斗”の組み合わせが決まりました」と話している。
本作で松村は、本当はみなではなく湊が好きなのだが、その気持ちを押し殺し、みなには“素顔”で接し、湊にはそうではない“ウソ”の自分を見せている。これが耶雲監督の言う「一人二役」の意味するところだ。現役アイドルである松村自身も、プロのエンターティナーとしてそうした見せるべき“表”の顔と隠すべき“裏”の顔を使い分けているだろう。だが、普段は隠している素顔が垣間見える瞬間にこそ人は親近感を感じ、惹きつけられるもの。監督の言うように、日頃からアイドルとして“2つの顔”を使い分ける松村だからこそ、透という役を演じられたのではないだろうか。
また本作は、あくまでもラブコメだ。森が演じる湊とみなは観客からすれば明らかに同一人物であり、対する松村の芝居のさじ加減によっては、ひどく滑稽なものにもなりかねない。“奇妙な三角関係”にリアリティを与えられるかどうかは松村にかかっているのだ。彼はこのさじ加減が非常に上手いと思った。
印象的なシーンがある。この関係に終止符を打つために、みなが透に別れを切り出す場面だ。ここで透は堪えきれずに涙をこぼす。演じる松村としてはセリフで心情を吐露したり、声を上げて泣いたりするという悲しみの表現方法があるはずなのだが、非常に抑制が効いている。彼は、“堪えきれずに”涙をこぼすのだ。役の内面と誠実に向き合う姿勢がなければ、辿りつけない表現なのではないかと思う。この物語のリアリティのカギは、松村にアリなのである。本作は、松村北斗の俳優としての将来性を感じずにはいられない作品と言えるだろう。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。