内村のまさかの落下も、体操の怖さを知る糧として生かされていく(AFP=時事)
30歳で迎えたミュンヘン大会では体操チームのキャプテンを務めた。その時に中京大の後輩として一緒に出場したのが、後に「カサマツ跳び」で世界をうならせる笠松茂さんだった。
「この時は最後のオリンピックだと思っていましたから、とにかく自分の持てる力をすべて出して、あとは後輩たちにいいところをどんどん持って行ってもらいたい、次の大会、その次の大会に伝統を引き継いでもらいたいという思いでした。後輩の笠松君は、すごい感覚を持ったすばらしい選手でしたね。彼とも先輩後輩として同じ場所で練習し、彼が強くなってくれたことがうれしい。
いま笠松君は体操クラブを作って子供たちを指導しています。たぶん近い将来、彼の元からオリンピック選手が出るでしょう」
日本のオリンピアンで最多の金メダルを取ったのは体操の加藤澤男さんで8個。中山さんの6個は2位で、3位が小野さん、遠藤さん、さらに体操の塚原光男さんの5個。体操が日本の輝かしい五輪史を彩ってきたことがわかる記録だ。戦後の体操ニッポンを支えたチーム力と指導法は今も生きている。中山さんはじめ、インタビューに登場した小野さん、遠藤さん、笠松さんは揃って国際体操殿堂入りを果たしている。今の代表選手たちもその伝統を引き継いでいくことになるだろう。
『週刊ポスト』(7月28日発売号)では、懐かしい五輪メダリストたちの「その後」を追った特集を掲載しているが、そのなかには中山さんの薫陶を受けて世界的スターとなった笠松さんも登場している。