若山騎一郎さんの芝居には、実父と叔父の教えが生きている
俺の本名は「敏章」だから、勝おじちゃんにはそう呼ばれていたんだけど、親父が亡くなってすぐに、勝プロ(勝さんが設立した勝プロダクション)のスタッフを集めて、「今日からこいつのことは敏章って呼ぶな、騎一郎と呼べよ」と言ってくれた。「お兄ちゃんが亡くなったってことは、本当の意味でお前は名前を継いだんだよ」と。
そうやって新伍さんとは毎日のように会っていたんだけど、ある時から足の調子が悪いとか体調が悪いとか言って半年くらい連絡が途絶えた。それまでは体調の心配をしても、「大丈夫だよ、この野郎!」って返ってきたのに、だんだん「悪いんだよ」と言うようになって。梅宮辰夫さん(故人)と熱海で会った時に、梅宮さんが「新伍に連絡しろ」というから電話したんですよ。新伍さんが出て、梅宮さんに電話を代わると、電話口で「山城新伍をやめるって? なに言ってんだ!」とか言っている。新伍さんは最後に「さよなら。ありがとう」と言うと電話を切って、そのまま電源も切ってしまった。次の日にまた電話したら解約されてて、引っ越しもしていた。
俺らは必死で探して、やっと見つけたら老人ホームに入って、そこで亡くなっていた(2009年8月逝去)。最後に聞いた言葉が「俺は山城新伍をやめる」だった。