交通事故が起きた場合の裁判は、刑事裁判と民事裁判のふたつがある。刑事裁判は、加害者が無罪か、有罪ならどのくらいの量刑なのかを決める裁判。起訴するのは検察官だ。
一方で、民事裁判は、加害者と被害者の間で損害賠償問題を解決するためのものだ。被害者と加害者は損害賠償額の請求とその根拠を出し合う。加害者は服役中の場合もあり、被害者が相対するのは、加害者が加入していた損害保険の担当や弁護士となる。
経験したことがない人にとっては、公的機関と対峙する刑事裁判のほうが緊張を強いられ、民事裁判のほうが何となく無難に終わるものかと思いがちだ。しかし実は、金銭がからみ何と戦っているのか見えない民事裁判はまた違った精神的苦痛があるという。
「損保会社からは『これは、あなたたちがうそをついているかついていないか確認するための作業なんで、では始めます』と、私たちがうそつきのような、疑いの目を常に向けられています。その言葉のひとつひとつに心が殺されていきます。
フランスなど海外では、被害者の心のケアを重視した裁判の進め方がされていると聞きますが、日本ではむしろ心を傷つけるようなやりかたなんです。このままでいいのだろうかと思います」
小沢さんは自身の経験を経て、民事裁判を行う被害者や遺族には、「なるべく裁判資料は見ない方がいいよ」「弁護士さんにまかせた方がいいかも」といったアドバイスもするという。
「刑事裁判なら『これはこうだった』と説明がなされ真実の追求があります。相手も見える範囲のところにいました。でも民事裁判になると、何と戦っているのかわからなってしまうんです。家族を失ったり傷つけられたり、それだけでも辛いのに、言葉の凶器をふりかざしてくる人がたくさんいるから、自分達を自分達で守らなくちゃいけない。それが民事裁判です。
でも世の中の人の印象は違うのでしょう。『交通事故で民事になったらお金めっちゃもらえるんだよね』『宝くじに当たったと思って頑張るしかないんじゃない?』と面と向かって言われたこともあります。言葉には出さなかったけれど、『あなたの大切な人が犠牲になってもそう思えますか?』と聞きたかったです」
松永さんが「6年前から実状は変わっていない」とブログで伝えるように、これだけコンプライアンスが叫ばれる時代にもかかわらず、今も被害者をさらに苦しめている。
「これまで精神的な辛さから、私の代理人に全てを任せ、自ら民事裁判へ出席する事を辞めようかと何度も考えました。しかし、この現実を見届け発信しようと思います」
と松永さんはブログで決意を表した。
元捜査一課刑事で被害者支援を行ってきた佐々木成三さんは、民事裁判でも苦しめられる被害者がいることについてこう話す。
「被害者は、事件を受けた後もいろいろな被害を受けています。民事裁判もその一つと言えます。被害者支援ケアというものは、被害者を経験したことのない第三者の視線では見えない、わからない部分が多くあることを、私たちは知らなければなりません」
さらなる苦しみを与えられながらも伝えていこうとする松永さんの勇断。こういった実状があることを知っておきたい。