落城の憂き目を知る匡介は、破られることのない城壁を築くことに心血を注ぎ、「塞王」と呼ばれる源斎の後継者と目されるようになる。一方、国友衆の鉄砲職人彦九郎は、天守閣をも崩すほどの鉄砲の威力を示せば戦はなくせると考え、改良を重ねる。
人物の描き方が魅力的だ。大津城城主京極高次は、妻初の姉茶々が秀吉の側室という関係などで取り立てられたとして「蛍大名」と軽侮されがちだが、ひと味もふた味も違う、人間味あふれる城主像に描き直した。
「大津城の戦いで有名なのは石田三成側の立花宗茂です。宗茂は生涯ほぼ無敗の武将で、800対2万2000とか圧倒的劣勢でも勝ってきた。そんな超絶エリートと『蛍大名』が正面衝突して、結果的に開城しますが、関ヶ原の戦いの勝因の一つに挙げられるぐらいは粘ってます。高次がほんまのぼんくらやったら絶対そんなことにはならんやろう、と。
そう考えて記録を当たってみると、高次のいろんな逸話が出てきて、小説に描いたような彼の前半生が浮かびあがってきました」
史料がある部分は史実に即し、ないところでは存分に想像力をはばたかせる。たとえば物語の終盤、城をねらう大筒を破壊しようと決死隊が向かうが、小説で名前を読み上げられる人物がその日、命を落としたというのは記録にあるそうだ。
石垣づくりの突貫作業を「懸」と呼ぶのは今村さんの造語だが、戦の最中に土木工事を行うことや、穴太衆が城内にこもることはあったらしい。匡介が石の声を聞くことができるという設定は、いかにも物語らしく思えるが、穴太衆の末裔で、現在も城壁の修復などを手がける建設会社の社長に取材して聞いた話から発想したという。虚実をない合わせ一本の糸にする手腕がたくみだ。
ぼくじゃなくても、と言う人ばっかりやったら──
主人公の匡介を善、ライバルで敵役になる彦九郎を悪、という描き方もしない。京極高次と立花宗茂の関係においてもそうだ。
「どちらが正しいかを最後まで問い続ける小説なんで、絶対そうあるべきやと思いました。匡介だって、追い詰められれば人に恨まれるような行動を取ったりもします。
誰かを守るためには誰かを傷つける。それが戦争の本質で、どの時代のどの戦争でも、同じやと思うんです。こういう書き方は直木賞の選考ではマイナスになるかな?とも思いましたけど(笑い)」