短歌が木に吊るされていた1984年当時の様子
その後、市長は桜が咲くまで工事の延長を打診。職員たちも奔走し、拡幅工事を少し変更し、残った桜の木は伐採されずに残されることが決定した。
現在、ここは桧原桜公園となり、多くの市民の憩いの場となっている。もちろん桜も健在だ。土居さんと進藤市長の短歌は石碑になって残されているだけでなく、地元小学生の道徳の副読本にも採用された。あのときの短歌はいまも、人々の思いをつないでいるのだ。
娘を亡くした母の願いを込めた桜
長崎県長崎市にある、市立城山小学校。校庭にある6本のソメイヨシノには「嘉代子桜」という名がついている。その由来とは──。
「77年前の第二次世界大戦下、城山小学校(旧城山国民学校)の校舎の一部は、三菱兵器製作所の事務所として使われていました」(長崎市在住Iさん)
ここは爆心地から約500mの高台にあったため、この日に動員されていた多くの若い命が、原爆によって失われた。その中に、当時15才の林嘉代子さんもいた。
「嘉代子さんのお母さんは、娘の遺体を捜し回りました。遺体は、3週間後に校舎内で発見されたそうです」
悲しみに暮れた嘉代子さんの母は、それでも前を向こうと、娘や若くして命を落とした女学生たちの慰霊のため、嘉代子さんが好きだったソメイヨシノの苗木約50本を学校に贈り、植樹したという。こうして、城山小学校のソメイヨシノに「嘉代子桜」という名がついたのだ。
現在も6本が残っている「嘉代子桜」は、平和のシンボルとして、いまも原爆や戦争の悲惨さ、平和の大切さを学ぶ場所になっている。
さらに、接ぎ木により育てられた苗木は全国に贈られ、嘉代子さんのお母さんが願った平和への思いとともに、受け継がれている。
取材・文/川辺美奈子 イラスト/ico. 写真/Getty Images、Photolibrary
※女性セブン2022年4月7・14日号