そのうえで、「痛みを伴う笑い」については、こう続ける。
「見解をよく読むと、BPOがとくに問題視しているのは、芸人が痛がる姿を周囲が嘲笑する演出がなされていることです。いじめを止めるのではなく、遠巻きに眺めて嘲笑するような演出は、子供の中に芽生えた共感性の発達を阻害するという指摘を制作サイドは受け止める必要がある。『BPOがうるさいから面白い番組が作れない』というのは言い訳であり、怠慢でしかないと思います。笑いの過渡期であるからこそ、テレビもこれまで通用してきたお笑いに、新たな何かを加えていかなければと考えないといけない」
BPOの放送倫理検証委員会委員を務めたジャーナリストの斎藤貴男氏にも意見を聞いた。斎藤氏は「青少年委員会の出身者ではないため、あくまで個人的な見解」として、こう語った。
「今や世の中全体のコンプライアンス意識がものすごく高くなった。最近の恋愛ドラマは必ずLGBTを入れないといけないとか、“奥さんが料理を作って旦那さんが新聞読んでいる”なんて演出がダメだということは、BPOが言っているのではなく、テレビ局が世の中の空気を敏感に察知し、意識し過ぎている。
確かにBPOは具体的な意見書や見解を出している。青少年委員会の見解には私も大枠では同意する。けれども、スタッフや芸能人はプロなのだから、子供たちに悪影響を与えないような配慮をするとか、不快感を与えないようにしながら、“あんなことを言っているけれど俺たちはやるんだ”という覚悟を示せばいい」
テレビ番組が面白くなくなっている原因についてはこう見ている。
「BPOはあくまでも表現の自由を守るためにあるわけで、奉行所の“お白州”ではない。たとえ番組が放送倫理に違反しているという意見書を出しても絶対ではなく、よりよい番組作りに役立ててくれればいいわけです。その原点が薄まってテレビ局や制作サイドに恐れられる存在になっていることが問題です。単に、テレビ局が不甲斐ないのをBPOのせいにしているだけのような気がします」(同前)
テレビの面白さを奪った“真犯人”はBPOの規制か、それとも思考停止したテレビ自身か。
(了。第1回から読む)
※週刊ポスト2022年6月10・17日号