スポーツ
2022.11.20 07:00
週刊ポスト
村田兆治さん伝説 肘の手術後、投げられない間は「山道を40km走っていました」
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独特のフォームで三振の山を築いた(時事通信フォト)
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南海で主軸を張った門田博光氏が村田兆治さん伝説を振り返る(時事通信フォト)
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「人生先発完投」と書かれたサインボール
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60代後半の当時も独特のフォームは健在だった
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マサカリ投法【1】
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マサカリ投法【2】
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マサカリ投法【3】
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マサカリ投法【4】
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マサカリ投法【5】
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マサカリ投法【6】
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スタンドから球児たちに熱心に声を掛けていた村田氏
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球児たちも村田氏の言葉に熱心に耳を傾けた
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「離島甲子園」の横断幕の前で球児たちと記念撮影も
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指導には熱が入っていた
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身振り手振りを交えながらの指導に、球児たちも引き込まれる
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柔軟体操の「お手本」を見せる際には、60代後半にして驚異的な体の柔らかさを披露
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こうした野球の普及活動をライフワークとしていた
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体を鍛えることの大切さを誰よりも知る人だった
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多くの人にその人柄とともに記憶されている
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火災のあった自宅(時事通信フォト)