「昨年の荒木あかねさんが江戸川乱歩賞史上最年少の受賞者なら、こっちは史上最年少の探偵でいこう、というのは冗談ですけど(笑)。たぶん私はこの今や地元ですら忘れられつつある母娘の存在や、人生の無常さを描きたかったんです」
鳥取県気高郡で村一番の運送屋を生家に持ち、山陰初の女性新聞記者から作家に転じた大正期のいわゆる〈新しい女〉、田中古代子と、わずか5歳で詩作を始めた娘の千鳥。さらに彼女達と親しかった同県出身の作家、尾崎翠らを軸に、三上幸四郎氏の第69回江戸川乱歩賞受賞作『蒼天の鳥』では、大正13年、つまり関東大震災の翌年に鳥取で起きた、ある殺人事件の顛末を追う。
その日、当時27歳の古代子と7歳の千鳥は、かつて〈安寧秩序を乱す〉として禁映処分を受け、実に12年ぶりに禁を解かれた仏映画『兇賊ジゴマ』を鳥取市内の劇場まで観に行った。が、凶賊対名探偵の対決が佳境を迎えた矢先、場内で火災が発生。大混乱の中、2人は黒い外套姿の凶賊が本当に現われ、隣の男を刺し殺すのを目撃してしまうのだ。
娘は言った。〈あれがほんもののジゴマなら、私と母ちゃんは名探偵ポーリンだ〉〈ふたりでジゴマと戦うんだよ!〉と。
自身は鳥取県米子市出身。脚本家として30余年のキャリアを持ち、毎年乱歩賞の受賞作は必ず読むミステリー好きでもあったことから、昨年同賞に初挑戦。2作目で晴れて受賞に至った。
「初めて長編を書いたのは50手前。実は大きかったのが、同じく脚本家出身で1997年に『破線のマリス』で乱歩賞を受賞なさった故・野沢尚さんの存在でした。
当時あの受賞は業界でも大変な話題で、映画やドラマであれだけ大きな仕事をしながら小説にも挑戦し、しかも乱歩賞がどうしても欲しくて3年連続で挑んだ野沢さんは本当に凄いと。私は面識こそないんですが、物凄く勇気づけられたし、野沢さんを見習って自分も3年は頑張ろうと腹を決めた頃、古代子と千鳥のことを思い出したんです。
実は私も彼女達のことは平成の半ばくらいにネットで知ったんです。鳥取にこんな埋もれた作家がいて、娘の詩も凄いのかと驚きました。地元では千鳥の方が有名だと思いますが、母親の方も一時は吉屋信子や尾崎翠と並び称され、頭も抜群にいい。それならば、この母娘を事件に遭遇させたら面白くなりそうというのが、そもそもの着想でした」
舞台が決まり、背景を調べれば調べるほど、大正は底知れなかったと言う。
「例えば図書館に行っても明治や昭和の棚は延々続くのに、大正はほんの少し。でも15年で終わるわりには、政権は12回くらいコロコロ変わっているんです。それくらい人々の生活や価値観が混沌とし、落ち着かなかった時代とも言えて、その中で自分なりの考えを持ち、言葉にした古代子を書けば、中央の作家や活動家の発言をどう地方の人が受け止め、消化していったかも書けるかもしれない。
特に舞台にした大正13年はラジオ放送開始の前年で、当時文化の伝播役を担った新聞や雑誌を通じて、地方にいながら注目される人も多かった。そんな彼女達がもっと自由に羽ばたきたいと思うのは当然のことで、その中にうまく羽ばたけた人もそうでない人もいたという人生の無常さが、1つのテーマではありました」
元々体が弱く、女学校を中退して通信講座で学んだ古代子が記者になれたのも、投稿を通じて〈明確な想いと未来設計があれば、寝間に臥す弱き女でも世界に石は投げられる〉と知ったから。が、米子の記者時代に前夫と出会い、千鳥を妊娠して退職。その夫とも後に溝が生じ、娘連れで実家に戻った彼女は姦通罪で告訴され、好奇の目に晒されもした。それでも今は浜村の実家で千鳥や後の夫で社会主義者の涌島義博と穏やかに暮らし、仲仕頭の〈南郷〉らのおかげで家業も順調な中、その事件は起きたのだ。
刺し殺された被害者は〈柊木芳晴〉という関西から来た男らしく、犯行を見た自分達を賊は再び襲ってくるに違いないと千鳥は言う。現に浜村では怪しい男達の姿が目撃され、庭に干した古代子の腰巻がなくなるなど異変が相次いでもいた。涌島と3人、東京で新生活を始めるためにも、古代子は犯人を突き止める必要があった。