どこまで真剣に物語と向き合うか

 面白いのは東京と鳥取を度々行き来し、後に代表作『第七官界彷徨』(昭8)を書く翠が、古代子に事件の顛末を小説に書くよう勧め、〈断片を集めて再構成して、第六官であいつらの“変態心理”や“変態感情”を探るんだよ〉と千鳥に推理の要諦を説くくだりなど、彼女達の作品や思想信条にも通底したシーンの数々だ。

「尾崎翠は第六官やさらにその先の第七官、あるいは変態心理という言葉が好きでよく使っていたみたいです。常用していた鎮痛剤ミグレニンのような単語も、説明なしに堂々と使った方が、当時の混沌とした感じが出るかなあと。

 ただ、この時代をいかにも大正ロマン、竹久夢二的な世界では書きたくなかったんですよ。そう書く方が確かにわかりやすいし綺麗かもしれない。でも私は地方都市とも言えない村や田舎で自分も羽ばたきたいと願い、自分ではどうにもできない外的要因からそうはならなかった人達の生き様とか儘ならなさを、大正という時代のうねりの中に描きたかったんです」

 それこそ震災後の混乱に乗じて大杉栄が惨殺され、大正14年には普通選挙法と治安維持法が同時制定されるなど、山陰にはこの頃、当局の弾圧を逃れたコミュニストらが流れ込み、中には涌島を頼り、中国山脈を徒歩で越えた強者もいた。

 そうした主義者の存在が事件をより複雑にし、また母娘の推理に新たな視点をもたらしたりもするのだが、やがて真犯人や事件の驚くべき真相が明かされた時、読み手の心に去来するのは、事件解決の快感よりむしろ切なさであり、哀しみだ。

「そのどうにもならなさは、大正時代のこの母娘に限らない普遍的なものですし、今後は時代設定や主人公の実在・架空を問わない物語を幅広く書いていきたい。脚本の仕事もそうですけど、その物語や登場人物の人生にどこまで真剣に向き合えたかを、私たち作り手は結局問われていると思うので」

 著者自身、「私が鳥取出身でなかったら本書は書いていない」と言い、その縁が今や読者の恩恵ともなった、生きとし生きる者の一瞬の輝きを大切に慈しむような、彼女達の事件簿である。

【プロフィール】
三上幸四郎(みかみ・こうしろう)/1967年鳥取県米子市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、都銀系システム会社に3年間勤務。その間、シナリオ教室に通い、NHKのコンクールで受賞したことを機に退社し、脚本家に。「幼い頃から小説も映画も大好きで、いつか物語を書く仕事をしたいという思いは漠然とですがあったように思います」。『電脳コイル』『名探偵コナン』『特命係長 只野仁』等、ドラマやアニメの脚本を手がけ、今年本作で第69回江戸川乱歩賞を受賞。170cm、64kg、O型。

構成/橋本紀子 撮影/国府田利光

※週刊ポスト2023年9月8日号

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