【シリーズ・没後1年アントニオ猪木さんを語る】プロレス界のスター・アントニオ猪木さんが亡くなってから1年。「元気が一番、元気があればなんでもできる」などの名言を残し、言葉でも人々を魅了し続けた。作家・夢枕獏(72)氏も猪木さんから影響を受けたファンの一人だ。夢枕氏が猪木さんについて振り返る。
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1975年、猪木と「人間風車」ビル・ロビンソンの試合(60分フルタイムドロー)をリングサイドで観ていたルー・テーズは「なんとファンタスティックな試合だろう」と語りました。
その言葉を知った時、僕はプロレスを言語化する面白さに目覚めてしまった気がします。
プロレスのファンタジーを支えているものは、選手の鍛え上げられたリアルな肉体であるということに気づいた時、物語作家を志していた若いころの僕は、次のようなことに気づきました。
「プロレスと同じく、小説というファンタジーを成立させるのは、鍛え抜かれたリアルな文体ではないだろうか」
格闘技の経験がない僕が、プロレスにこれほど熱中することになったのも、そこには人生や考え方が投影され、シンクロしていると感じ取ったからだと思います。
猪木さんが新日本プロレスを旗揚げした時から、従来のプロレスラーにはなかった思想性、哲学性を僕は猪木の中に感じ取っていました。
1976年のモハメド・アリ戦は確かに「世紀の凡戦」と酷評されましたが、僕は「なぜこのような膠着状態が続いたのか」という違和感を消化しきれず、何か非常に大きなテーマを残された、「お前はどう考えるんだ」という宿題を与えられたような衝撃を受けました。
最晩年の猪木さんの生き方も、僕に大切なことを教えてくれました。
長らく闘病生活を送るなかで、かつての壮健な肉体が失われてもなお、壮大な夢を披露し続け、「迷わず行けよ」と普通の大人なら言うのに躊躇してしまうような言葉を、猪木さんは叫ぶことができるんですね。
生涯をかけて築いたファンタジーをその死まで守り抜いたのが猪木さんでした。ある種の狂気性を持って、理屈では割り切れない世界に踏み込んでいくこの勇気は、作家にも必要なことだと思います。
猪木さんが「アントニオ猪木」を表現し切ったように、ペンが握れなくなるまで、作家は作家であるべきなのでしょう。
取材・文/欠端大林(フリーライター)
※週刊ポスト2023年11月10日号