佐藤究・著『幽玄F』は、『文藝』2023年夏季号に一挙掲載された当時から、世の本好き達を騒然とさせた。
まずは主人公の〈易永透〉。三島由紀夫の絶筆となった『豊饒の海』第四巻の少年と同じ名前を担わせた上で、佐藤氏は後に戦闘機乗りとなる彼の空に魅入られた人生を官能的なまでに描いた。直木賞受賞第一作が純文学系文芸誌に載るのも、「たぶん前代未聞」だったとか。
「そもそもこれは『三島の亡霊を斬ってくれ』という『文藝』の依頼が始まりで、もちろん何度も断りました。せっかくエンタメに転じてまで積み上げてきたものを一気に失いかねませんし、あれだけファンも専門家も多いレジェンドを、安請け合いする人なんています?
ただまあ、その方の編集者然とした佇まいに打たれましてね。まずいまずいと思いつつもお請けした矢先、『テスカトリポカ』で直木賞を頂いて、僕はさらなるピンチに直面するわけです。そんな注目度が高い状況で、三島物をやるという(笑)」
そう。本書は没後53年を数える巨星への敬愛の書にして、「再神格化だけは避けたかった」という佐藤氏が『豊饒の海』の彼方に見た、空と義を巡る物語でもある。自身の三島体験は、意外にも寺山修司経由だとか。
「寺山さんから横尾忠則さんに行って、横尾さんの『三島ってカッコいいよね』みたいな考えに影響されて。ちょっと背伸びした次元にいるのが、三島さんでした。
中でも感銘を受けたのが、純文時代に全文を写経した『旅の墓碑銘』と、『太陽と鉄』のエピローグになった『F104』。後者は三島の全盛期を知る全共闘世代の詩人、故・河村悟さんから『三島は蛇を見た辺りから変わったよね』と言われて読んだんですけど、確かに1967年12月、F104に体験搭乗した三島さんは、〈私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた〉と書き出している。その異様でアッパーな感じに惹かれたんですよ、僕は。
日本のダウナーな技芸を競う文学って、僕みたいなペンキ屋育ちの労働者には元がイイとこの人達の没落願望にしか見えなくて(笑)。三島さんも家柄はいいけど、『F104』は全然違って、ぜひ新しい読者にも読んでほしいと思う作品です」
その『F104』の初出が『文藝』の1968年2月号で、いよいよ縁を感じた著者は、テーマごとに資料や写真をコラージュした自作ノート、ゲシュタルトブックを作成。その数は『テスカトリポカ』に並ぶ、計5冊に及んだ。
「作品自体は半分の頁数なんですけどね。三島、戦闘機、あとは透が2000年生まれなので、今後の国際情勢であるとか、全ての要素を可視化して、イメージできるまで眺めるのが、僕の書き方なんです」