「イスラエル・ガザ戦争の泥沼化」「台湾総統選挙の行方」「マイノリティの包摂問題」「ネットによる言論の分断危機」「組織的不祥事と『忖度』の追及」──大きな戦乱や政変が起こる年と言われる辰年に備えるべく、『週刊ポスト』書評委員が選んだ“2024年を占う1冊”は何か。雑文家の平山周吉氏の1冊を紹介する。
【書評】『訂正する力』/東浩紀・著/朝日新書/935円
【評者】平山周吉(雑文家)
「訂正する力の歴史を思い出すことが、失われた30年を乗り越え、この国を復活させるひとつのきっかけになる」
東浩紀『訂正する力』は、心強いメッセージを、結論として打ち出している。「訂正」といえば、負のイメージしかない。「お詫びして訂正します」、「訂正してお詫びします」と頭を深々と下げる「お詫び」とセットになってしまう。下げた頭の中では、これで穏便に幕引きにして、逃げ切ろうという魂胆も透けて見える。
「弱いつながり」「観光客」「ゆるく考える」など、地に足のついた哲学を提示してきた東浩紀が、五十代に入って提出する「日本への処方箋」が「訂正」だ。誤りを認めない、したがって誤りはない、とする。日本の近代政治史を見ていると、その宿痾は根深い。本書を読むと、それは現在にまで形を変えて続いている。
ネット世界では、言論は分断したまま、単純なフレーズを強く、おおぜいで、繰り返し言った者勝ち。頑なさが、ぶれていないとプラスに評価される。そんな左右両翼とも幼稚化する社会に対し、「成熟」をうながし、「老い」を肯定する社会への変化をも強くうながすのが、東浩紀の提出する「訂正」である。
「訂正する力とは、過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を変え、現実に合わせて変化する力のことです」
「訂正」の話法とは、「じつは……だった」という言い方である。それは理系、AI、経済学などの知より、旗色の悪い「文系の知」に親和的だという。「文系の知とは、本質的に「訂正の知」なのです。だからぼくたちは、21世紀になっても「プラトンはじつは……と言っていた」「マルクスはじつは……と言っていた」といった表現をするのですね」
「訂正」とは他の人と対話すること、過去と現在をつなぐこと。「訂正」という言葉を更新して、人工知能の時代に対抗しうる生き方を具体的に見せてくれる。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号