1973年の『平凡パンチ』に掲載され、150万部近い爆発的な売り上げとなった麻田奈美の「林檎写真」。林檎だけで下半身を隠すという斬新な写真がきっかけとなり、麻田奈美ブームが湧き起こった。その「林檎写真」はいかにして誕生したのか。本人が約半世紀ぶりの“顔出し”で振り返る。【前後編の前編】
18歳だった麻田奈美さんが写真家・青柳陽一さんと初めて出会ったのは1972年9月17日。その日以降、場所を変えながら屋内外でのカメラテストは続き、モデル初体験だった麻田さんは数を重ねるごとに自然な動きができるようになっていった。青柳さんから麻田さんの話を聞いた平凡パンチの編集長は1973年1月発売号用の撮影を依頼し、下田や伊豆大島、新島、式根島などでロケを敢行。そして1972年の12月24日、ついに「林檎ヌード」が誕生する日を迎えた。
その日は青柳さんの所有するスタジオでの撮影だった。ヌード撮影で股間を隠すために、最初、麻田さんにレモンを持ってもらったが、小さくて隠しきれない。青柳さんは思案にくれてふと横を見ると、果物カゴに盛られたリンゴがあったという。
「平凡パンチの編集者が風邪で撮影に立ち会えなくなったということで、撮影後に届けるために助手に病気見舞いの果物を買いに行かせていたんです。すぐさま包装紙を破って一番形のいいリンゴを選びました」(青柳さん)
麻田さんも、この時の様子をよく覚えている。
「リンゴを渡されると、青柳さんに『私を嫌な奴だと思って強く睨め!』と言われて、思い切り睨みつけました。何か吹っ切れたというか、自分に自信が持てなかった過去から解放されたような感覚でした。撮影が終わって、心の安らぎさえ感じました」(麻田さん)