六本木ヒルズがオープンから10年を迎えた。ヒルズといえば実業家など高所得層が住む豪華マンションという印象が強い。現実離れした印象が強い六本木ヒルズだが、住民の自治会もあれば、自治会長もいる。その六本木ヒルズ自治会長の原保氏が、かつての6丁目の思い出を語った。
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今、ヒルズのレジデンス41階に住んでいます。上から数えて3階、東南を向いて見晴らしがよくて快適です。ヒルズの開発工事が始まる1999年まで「原安太郎商店」という金魚屋をやっていました。ご近所さんからは原金って呼ばれてね。江戸時代(天保11年)創業の金魚卸商で5代目でした。金魚はヨーロッパでも人気があってロンドン支店もあったんです。
6丁目は下町の風情があった。うちは玄碩坂という坂の下の窪地にあって綺麗な水に恵まれていた。金魚屋やるのに適していて、いい水を求めて人が集まる土地でした。昔といっても25年前まで、この辺にクワガタとかカブトムシがいたんですよ。
夜になるとフクロウがホーホー鳴いてね。私も子供の頃、毛利庭園の池でオタマジャクシをとったものです。
170年続いた金魚屋を自分の代でつぶしてしまうのはご先祖様に申し訳なかったけれど、ここは道が狭くて防災上の問題があった。再開発の話がきた時、今が変える時だと思いました。私は戦争中に空襲を経験しているからいつも心配していたんです。
500世帯いたうち400世帯、80%が地権者権利変換でヒルズに暮らしてます。意外に思われますが顔見知りがたくさんいるし、会うと挨拶しています。金魚屋はティファニーとルイ・ヴィトン、アルマーニに生まれかわりました。ご先祖様はアルマーニのことは知らないだろうけど、自分たちでこれほどの街を作ることができたのだから許してもらえると思います。
※週刊ポスト2013年6月21日号