台湾の農業改革で大きな貢献をした水利技術者の八田與一も、台湾で知らない人はいない。八田は干ばつが頻発していた台湾南部の嘉南平野を調査し、灌漑設備が不足していることを指摘。当時としては世界最大の規模となる大貯水池「烏山頭ダム」の建設事業を指揮した人である。
その後、フィリピンでの灌漑調査のために乗った船が米潜水艦に撃沈されて亡くなったが、八田の銅像と墓は烏山頭ダムの公園にある。銅像はダムの完成直後に作られたもので、蒋介石国民党による破壊から逃れるため、地元住民らの手で50年間にわたって隠し守られ、1981年に再び元の場所に設置された。
彼らに共通するのは、「日本精神」を体現した人物であるということだ。「日本精神(リップンチェンシン)」とは台湾人が好んで用いる言葉で、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神をさす。日本統治時代に台湾人が学び、ある意味、台湾で純粋培養された精神と言えるかもしれない。
実はこの言葉が台湾に広まったのは戦後で、国民党の指導者が自分たちが持ち合わせていない台湾人の気質をそう呼んだのが始まりだ。
教育によって台湾に浸透した日本精神があったからこそ、台湾は中国文化に呑み込まれず、戦後の近代社会を確立できたと考えられる。
※SAPIO2014年2月号