その姉も文革で若者が労働をしながら地方の農村で生活する下放に出され、内蒙古自治区の辺境地区に送られた。橋橋さんは食うや食わずの生活にもかかわらず、農作業のわずかな報酬を習氏や弟、妹に送金していた。このお金で、習氏らは食いつないだという。その後、習氏も陝西省に下放されるが、橋橋さんの送金は途絶えなかったという。
さらに、文革が終了して習仲勲氏も名誉回復され、広東省トップとして赴任、橋橋さんも一緒に広東省に赴き、広東省の解放軍部隊で働きながら、忙しい母に変わって父の食事などの世話をするようになる。また、習仲勲氏が引退してからも、ずっと世話を見ており、その間、習近平氏は福建省や浙江省勤務だったため、すべて、姉任せだった。
「姉には苦労をかけた。いま、ようやく余裕ができた。姉には幸せになってもらいたい」と習氏は親しい知人に漏らしているといい、「これが習氏の姉に頭が上がらない理由だ」と北京の消息筋は指摘している。