そもそも江上説は記紀などの文献と、副葬品などの発掘史料の2つのアプローチから説を成り立たせている。しかし、古代史研究者にしてみれば、古墳時代後期の副葬品に馬具類が多く見られるとしても、交流のあった大陸文化の影響というだけの可能性も高く、それが騎馬民族による征服を意味すると断定する根拠はない。考古学者の佐原真は騎馬民族が来たなら同時に伝わるはずの去勢の文化、生贄の儀礼が日本にないことを批判の論拠とした。
 
 結局、江上説は後の実証研究によって根拠が突き崩されていったため1970年代になると影が薄くなり、80年代に入るころには歴史教科書の記述も減り、一般からも忘れ去られるようになっていった。
 
 しかし今日、騎馬民族説がまったく忘れ去られてしまうのは問題であろう。私自身は、江上説は研究史的に大きな意義があったと考える。そもそも学術研究というものは、先人の学説を批判しながら洗練されていくもの。たとえば、ニュートン物理学の説はアインシュタインによって乗り越えられたけれども、ではニュートンが忘れ去られたかというとそうではない。
 
 江上説が日本史研究に「古代日本をアジア史の一部として見る」という視点を植え付けた功績は大きい。
 
 とりわけ、江上説は19世紀以降の近代国家確立のためにつくられたナショナルヒストリーの枠組みを解体する役割を担った。それが史実ではないにしろ、従来日本列島の枠組みだけでルーツを語ってきた記紀的な歴史は実際とは違う、ということが国民のあいだに周知されたのだ。(文中敬称略)
 
※SAPIO2014年12月号

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