ほかにも失われた東京弁はたくさんある。「遊び」は「あそび」ではなくて、「あすび」だし、「あそこ」は「あすこ」、「まっすぐ」は「まっつぐ」などだ。
私の演劇では東京が舞台であれば、イントネーションやアクセントも東京弁の訛りを使って表現する。すると、観た人のなかには「何も新しいことをやっていないのに、なんだか新しいものを見たような気がする」と言ってくれる人もいる。
馴染みがないから新鮮なのだろう。落語もそうで、いま若い人に受けているのは、古典落語の言葉の響きが彼らにとっては新しいからだ。
そう考えたら、「江戸」は海外に対して格好の観光キーワードになる。日本橋の上にかかっている高速道路を撤去するという話があるが、例えば上野の黒門町など、○丁目と改称されて消えた江戸の町名も復活させたらいいと思う。
東京ディズニーランドだって、千葉の浦安市にあるのに「東京」とつけるのであれば、「大江戸ディズニーランド」があってもいい。エレクトリカルパレードではなくて、ミッキーが着物を着て籠に乗って大名行列をするという……。
ともかく、きれいな日本語というものがあるんだということに、いまの若い子は気づいてほしいね。
※SAPIO2015年11月号