「知恵の完成に於いて」という文が「般若波羅蜜多時」と漢訳されました。「筏の譬喩」に当てはめれば「彼岸に於いて」という意味です。
般若心経は「舎利子是」と続きます。「シャーリプトラ(お釈迦様の、知恵に優れた年上の弟子)よ、ここでは」という意味です。「ここでは」は「彼岸に於いては」です。般若心経の内容は、すべて「知恵の完成に於いて」の話なのです。彼岸においては筏(仏教)も捨てるので、仏陀が説かれた「苦集滅道」さえも捨てるのです(無苦集滅道)。
明治維新以後のいわゆる日本の近代化は、実際には西洋化でした。言葉も外国語の翻訳に使われて西洋化し、素晴らしい日本文化が忘れられています。仏教という翻訳語(元来は仏法、および仏道といわれた)が、キリスト教などの一神教のように一つの価値観を信仰する宗教と混同されています。仏法(現代語では仏教)は、「我こそ正しい」という自己執着を離れ、あらゆる価値観を尊重する宗教(生き方、価値観)なのです。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2016年9月30日号