「産んでいる人もいます」
「産めなくなった人もいるのかな…と複雑な気持ちでした」(陽子さん)
父を助けたいと思う一方で、陽子さんは肝臓の提供をすぐに決断できなかった。そんな時、テレビで加藤さんの移植手術の報道を見る。
「この先生なら、父を助けてくれるかもしれない」
陽子さんは、加藤さんに連絡をとった。有名な先生だし、読んでもらえないかもしれない──メールだけでは心配なので、〈どうか先生、とにかく父を助けてください…〉と、手紙も書いた。
それから3日後、加藤さんから「ぼくが助けます。お父さんのアメリカでの移植を考えてください」と、長いメールが届いた。父親を加藤さんのもとに連れて行ったとき、陽子さんは、加藤さんからこんな言葉をかけられた。
「女性の肝臓は小さいから、お父さんにはあげられなかったよ」
「“娘の肝臓をもらうくらいなら死んだ方がいい”と言う父に対し、子供は産めなくなるかもしれないけど、自分の臓器を分ければ、父は助かるかもしれない…。ずっとそんな葛藤がありました。もしかしたら先生の言葉は嘘だったのかもしれない。今もそれはわからないけれど、この言葉で私は救われたんです」(陽子さん)
伊葉さん一家は移植を決意。渡米4日後、すぐにドナーが現れた。
「今年、私は子供を産みました。あの時、先生に助けてもらっていなければ、今頃どうなっていたのか…この子に出会えて、母になることができて、本当によかった。元気な父に息子を見せることができ、とても幸せです」(陽子さん)
息子を抱きながら陽子さんは優しく微笑んだ。その隣で、功二さんも笑っていた。
撮影■吉井明
※女性セブン2017年1月1日号