まだ桜が咲く前の3月22日、『茨城県立下館第一高校』でも例年通り終業式が行われた。ただ、他の多くの高校と違って、また同校過去66年の歴史で初めて、その日は、たった1人の女性のために、約560人の生徒による“お礼の会”と称された卒業式が行われた。
同校の正門の左側に進むと、校舎と体育館を繋渡り廊下のわきに約17平米ほどの小さな木造の建物がある。同校の生徒がお昼ご飯や部活後の空腹を満たすパンや飲み物を購入する売店だ。
この会の主人公となったのは、売店を66年間にわたって運営してきた名物おばちゃんこと、山中艶子さん。御年91才だ。
同校に購買部ができたのは1951(昭和26)年。終戦から6年経った日本はまだまだ食糧難が続き、食べ盛りの高校生にとっては厳しい時代が続いていた。
「食料が不足してお弁当を持参できずにいる生徒がいるから売店をやってほしい」
25才の艶子さんにそう懇願したのは、当時同校に赴任してきたばかりの教頭だった。購買部を始めた当初、艶子さんはお手製のコロッケパンを5円で販売。1日80個近く作ったコロッケパンは毎日完売していたという。
同校の卒業生でもあり、下館一高で教員としても勤務していた田村寿穂さん(75才)は「今でもあの味を思い出すことができるんです」としみじみ語る。
「当時はお金もなくてね。器械体操部だったぼくらは、みんなからお金をかき集めても30円くらいにしかならないんですよ。でも部活の練習が終わったあとはとにかくお腹が空いててね。当時は満足にご飯も食べていないこともあって、部活が終わった夕方はもう空腹で。
そんな時に、おばちゃんに『これしかないんだけど』って言って、手のひらにのせた30円を見せるんです。するとおばちゃんは『そうか』って言って10個とか15個とか人数分のコロッケパンをくれるんです。本当は6個しか買えないのにね(苦笑)。でもぼくたちもお腹が空いているから、遠慮なくお言葉に甘えていました。
あの味は本当に忘れられない。お腹を満たしてくれるだけじゃなくて、気持ちもホッとできる場所でね。元気がない生徒がいると必ず『どうした?』って声を掛けてね、それで叱咤激励してくれて背中を押してくれるんですよ」