◆学歴という能力の代理指標が使えない時代に
ところがITがさらに進化し、AI(人工知能)の時代に突入しつつあるいま、様相はさらに変化しつつある。人間に求められる能力や資質はもちろん、思考パターンや行動様式まで大きく変わろうとしているのである。
たとえば専門的知識はもちろん、それを応用することや論理的思考はAIの得意とするところだ。そのため医師、弁護士、会計士といった高度な専門職の仕事さえ、かなりの部分がAIに取って代わられようとしている。
端的にいえば因果のプロセスが明確でパターン化できる仕事は、やがて消滅する運命にあるのだ。そうすると、これまで通用した学歴や資格のような能力の代理指標(経済学でいうシグナル)もだんだんと使えなくなる。
裏を返せば、AI化が進んでも因果のプロセスが不明でパターン化できない仕事ほど長く生き残るはずである。それを支えているものは、直感や感性、ひらめき、発想力といった人間特有の知的能力である。
これらの能力も知識や経験と無関係ではないが、正体不明の部分が大きいため、学校教育で体系的に身につけさせようとしても限界がある。また、それをあらかじめ評価したり、判定したりすることも難しい。開き直ったようないい方になるが、実際に仕事をやらせてみなければ優劣がわからないのである。
いずれにしても、それらの能力と学歴、偏差値との相関はかなり低い。近年、高学歴のエリート社員が仕事で成果をあげられず挫折するケースが増えているといわれるが、本格的なAI時代到来の前兆かもしれない。
それだけではない。逆に「受験秀才」は思考様式や行動パターンが画一化されがちだという欠点がある。
最近発表されたある研究では、大企業の研究開発技術者の思考内容が所属する企業の枠を超え酷似していることが明らかになっている。それが日本企業から画期的な新製品やブレークスルーが生まれなくなってきている一因ではないか、というわけだ。また高級官僚や大手メーカーで続発する不祥事を見ていても、その手口や対応のお粗末さがあまりにも似通っていると感じる人は少なくなかろう。