そうした中で渡辺は、日本の一般市民の率直な意見を紹介する。

〈これにつきまして、ただいま第十師団長[姫路]をしておられまする広瀬[寿助]中将が、この春公務をもって満洲に旅行せられ、大連で自分の同国もしくはその他の知っております青年、中には満鉄[南満洲鉄道]の役人もいれば、会社その他のいろいろの方面の人々がおったそうでございますが、それらと一席、会合をした。その機会に、「近頃、満蒙問題が非常にやかましいが、これについて君らはどんな考えを持っているか、一つ率直な腹蔵ない[包み隠さない]意見を聞かせ」といって訊かれたところが、これら青年の答えは、「満蒙は元来、支那のものである。満蒙の主権は支那にある。それを日本が威力[恫喝]をもって、大正四年[1915年]に支那の承知しないのに無理に旅順、大連の租借期限を延ばし、あるいはいわゆる[対華]二十一か条といわれる要求を提出して無理に承諾せしめたということは、これは無理である。結局、満蒙は支那に還すのが正当である。」こういう話をそれらのものが言っておる、まことに驚きいった〉

「率直な腹蔵ない意見」を求めた結果とはいえ、帝国陸軍中将を前にした大連在住の民間人青年たちの発言は、あまりにストレートな印象を受ける。

欧米列強の脅威が迫る中で…

 たしかに日本が中国に突き付けた対華二十一か条要求は、当初から多くの問題を指摘されていた。さらにその後の排日・抗日運動を激化させた上、結果的にベルサイユ条約から3年後の1922年には日本が山東省の権益を放棄せざるをえないところまで追い込まれることになった“失政”であった。

 それでも、広瀬中将が議論しているこの1931年春の時点では、満蒙問題が今後どこへ向かうのかまだ見えていない段階にある。そういう中で、満洲にいる日本人青年たちが「満蒙は元来、支那のもの」「支那に還すのが正当である」と答えているのは、渡辺でなくても「驚き」いるのではないだろうか。渡辺は、続けて広瀬の話を紹介する。

〈それで、広瀬中将の考えているところをこれら青年に説いて聞かせ、なお、「この条約[対華二十一か条]がいかにも最後通牒の形をもって、ある程度まで威力をもって結ばれたに違いない。しかしながら、古来かくのごとき性質の条約を結ぶのに、威力を用いず十分納得の上で決めたという条約が果たしていくつあるか。もし威力をもってこの条約を決めたということが悪いというならば、さらにその以前にさかのぼって、日清戦争当時支那の全権が承諾して、日本の領土になるべきところの遼東半島をロシア、フランス、ドイツの三国の威力による干渉のために、日本は涙を呑んで支那に還付しただろう。もしもこの条約を結ぶのに威力をもって結んだことが無理であるというならば、その以前の遼東還付の条約も無理でなければならぬ。」というところまで話しておいたが、果たして自分の言ったことが彼らにわかったかどうか、というような話がございました〉

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