世界を制しても“富士山”の頂には登れなかった斉藤だが、その戦いは堂々たるものだった。前出・川野氏がいう。
「斉藤は山下君に“正攻法で勝ちたい”と考え、奇襲攻撃や捨て身技は絶対にしなかった。わずかな差で及ばなかったが、打倒・山下のために激しい稽古に励んだ斉藤の強さは本物になった」
山下引退後の1988年、悲願の全日本選手権優勝を果たした斉藤は、同年のソウル五輪で2大会連続の金メダル(95キロ超級)。引退後は日本代表のコーチなどを務め、がん性胸膜炎のため54歳の若さでこの世を去った。
山下は自著『柔の道』(講談社刊)にこう記している。
〈斉藤仁は私にとって最大にして最高のライバルでした〉
※週刊ポスト2021年5月7・14日号