自分らしく舞う人生の仕舞い方
ある女性雑誌で、女優の吉永小百合さんと対談をした。彼女の122本目の映画である「いのちの停車場」では、初の医師役に臨んでいる。救急医療の専門医だったが、ある事情で在宅医療に取り組むことになる。
治療を拒否する、ゴミ屋敷の老夫婦のエピソードはとても印象的だった。夫婦は心を閉ざし、血圧さえ測らせてくれない。そこで、吉永さん演じる医師は、訪問看護師とともに、家の中を掃除し始める。きれいに片付いた家に、日差しが入り、夫婦に笑顔が戻ってくる。心温まるシーンだ。
こういうことは、在宅医療をしているとたびたび経験する。まず環境を整えることで、この夫婦は自分たちの命の大切さを思い出したのである。
対談では、吉永さんの亡くなったご両親のことにも話が及んだ。
「私の母はがんでした。治療拒否して4年経ち、90歳の誕生日、孫や友人を呼んで、自分もフランス語でシャンソンを歌い、にぎやかに祝った後、介護が必要な状態になりました。私たち3姉妹が毎晩交代で一人暮らしの母に付き添いました」
車いすからトイレに移る時、体の大きい母親を持ち上げられず、二人で転んでしまったこともあったという。
「父はレストランでステーキを喉に詰まらせ、脳死状態になりました。そのまま天国に送ってあげることがいいのか、人工呼吸器をつけるべきか、母と娘たちの間で随分話し合いましたが、母は少しでも長く一緒にいたいと」
映画の中で、田中泯が演じる父親は、脳卒中後の激しい視床痛に耐えられずに、安楽死を望む。「いのちの停車場」のクライマックスである。
この映画には、命の「仕舞い方」を考える上で、とても良いヒントが詰まっている。「仕舞い」は、単に終わりを意味する「終い」ではない。その人の矜持、生きてきた証ともいえる、人生最後の「振る舞い」だとぼくは思っている。
今、新型コロナのパンデミックで、ぼくたちは、失った過去と、先の見えない不安の中で立ち往生している。けれど、それでも“今ここ”の感覚を研ぎ澄ますことで、どんな舞を舞うことができるのか、自分の中に可能性を探ることができる。それは、まぎれもない希望だと思う。
【プロフィール】
鎌田實(かまた・みのる)/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。
※週刊ポスト2021年7月9日号