弱者を生まない社会の誕生
貧しい人だけに給付するやりかたもある。でも僕たちはみんなが貧しくなった。平成の間に一人当たりGDPは先進国4位から22位に転落した。勤労者世帯の収入のピークは1997年、世帯収入400万円(手取りで約330万円)未満の人たちが全体の5割弱を占めるようになった。まるで「平成の貧乏物語」だ。
僕は、次第に、貧しい人に限定せず、全国民にベーシックサービスを提供すべきだと考えるようになっていった。実際、「世界価値観調査」によると、「国民みなが安心して暮らせるよう国は責任を持つべき」という問いへの賛成は、約8割に達していた。
そもそもの話、だ。貧しい人を助けるのはよいことかもしれないが、助けられるほうの気持ちはどうなのだろう。お金ごときで人間の扱いを変える社会は、本当に「よい社会」なのか。僕はずっと悩んできた。
ベーシックサービスを全員に提供すれば、「救済される屈辱」から人間は自由になれる。医療、介護、教育がタダになれば、生活保護の4割以上を占める医療扶助は消え、介護扶助や教育扶助もいらなくなる。誰もが堂々と病院に、学校に、介護施設にいける。弱者を助けるのではない。弱者を生まない社会の誕生だ。
働けない人たちはもちろんいる。その人たちにはベーシックサービスとは別に、「品位ある命の保障(decent minimum)」を行う。飲食費や光熱費を保障する生活扶助は最後の砦だし、日本では未整備の住宅手当、利用者の少ない失業給付も創設・拡充すべきだろう。
罵詈雑言を浴びても僕は税にこだわる
さて。この辺で話をやめる要領のよさがあれば、僕は人気者になれたのかもしれない。でも僕は、「消費税」の話をする。だから左右の挟撃にあう。
増税を語ると右からはパヨクと罵られる。バラマキを求め、消費税を忌み嫌う左からは売国奴と断罪される。おまけに、税収を全額暮らしの安心のために使おうというものだから、健全財政主義者からも嫌われる。異端というと聞こえはいいが、「嫌われ者」といったほうが正しいのかもしれない。
正直、辛い。でも、罵詈雑言を浴びても僕は税にこだわる。なぜなら、いまを生きる人たちと、未来を生きる人たちとで喜びを分かち合いたいからだ。
ベーシックサービスを無償化すれば、17兆円、消費税なら6%程度の財源が必要となる。これをすべて借金でまかなうのなら、もはや予算に上限をはめる理由はない。天井なき予算は「欲望のるつぼ」と化し、財政を急膨張させることを、日本は戦時期に経験している。
過去と同様、歯止めのない支出は、将来のインフレを生む。税から逃げたツケは、将来の物価上昇という「見えない増税」となって子どもたちを襲う。そんなリスクがわずかでもあるのなら、僕は税の話から絶対に逃げるわけにいかない。
税は、本当に必要なものを話しあう動機を生む。ムダ使いをして将来の子どもたちの負担を増やさないためだ。どの税で、誰が負担するかも論点だ。公正さを欠けば、社会は分裂する。一方、借金で好きなだけバラまく政策なら議論はいらない。だが、人気取りのために、民主主義と子どもたちを犠牲にしてよいはずがない。