物語は主人公〈宇野冬芽〉が病に罹り、剣闘士として活躍した近未来を、さらに未来から振り返る形で進む。元々は大阪の家具職人で、円空仏に似た木像を数多く残した冬芽は雅号を残月といい、2048年、27歳で、衛生局の施設に収容された。
2027年末にタレント出身の政治家〈下條拓〉率いる国家資本主義政党(のちの救国党)が政権を握る。翌年3月にはM9.2の南海トラフ地震、通称〈西日本大震災〉が発生した。その20年後、混乱に乗じて超長期政権を築く下條は〈改正月昂予防法〉の下、月昂者の摘発を強化し、冬芽も当局に通じた風俗店をそうとは知らずに訪れ、逮捕された格好だ。
細部に拘らないと書き進められない
が、彼は剣道3段の腕前と傑出した体格を見こまれ、闘士養成所の一員に。〈生命力が最高潮に達した月昂者に武器を与え、殺しあいを演じさせる〉〈退屈した暴君が思いついたカネのかかるお遊び〉の道具となるが、彼ら闘士にすれば致死率を下げる〈抗昏冥薬〉を支給され、一戦闘えば〈勲婦〉を抱けることが全てだ。そして既定の30戦を越えて生き延び、馴染みの勲婦〈ルカ〉と共に条件のいい月昂療養所に移り住むことが彼のささやかな夢となっていく。
近所のファミレスでふとトイレの窓を眺めた瞬間、兎のいない月の裏面がこちらを向き、席に戻った主人公を、妻や子供たちが見知らぬ他人扱いする、卑近な設定だけにそのパラレルぶりが怖い第1話。
そして月面上の風景のような模様の石にまつわる、主人公と隣室に住む孤独な少女との運命が切ない第2話。3編いずれも一見突拍子もない物語世界だが、細部の描写を1つ1つ読み重ねるうちに違和感なく入りこんでいける、現実との地続き感が秀逸だ。
「いくらファンタジーでも日本人の僕が日本語で書く以上、目の前の現実と無縁ではいられない。特に日本の場合はこのまま衰退しそうな気配が濃厚ですし、下條みたいに論点をぼかし、声だけはよく通るカリスマを待望し、全体主義にひた走るもう1つの日本社会を作り込む際にも、そこまで無理は感じませんでした」