本田さんは母を「美枝ちゃん」と呼び、一緒に入浴することもあるなど、友達のように仲のよい親子だったという。また、坂本の母も1997年に夫を事故で亡くしている。母親をひとり残して先立つつらさを、自分のことのように感じたのだろう。坂本は悲しみに暮れる美枝子さんのもとを訪れて、こう言った。
「私が美奈子ちゃんの代わりになります」
いまでもこの言葉が忘れられないと美枝子さんが語る。
「まさか冬美ちゃんが娘の代わりをしてくれるなんてと驚いてしまって。『ありがとう』と返しましたが、その言葉通り、16年にわたって“お母さん”と呼び、気にかけてくれて……本当にここまでしてくれるとは思いもしませんでした。生前にお姉ちゃんと仲よくしてくれたかたは多いですが、いまも私たち家族と直接つながっているのは冬美ちゃんだけです」
しかし、最愛の娘を失った母の心の傷は、何年経っても癒えるものではない。本田さんは仕事の都合で深夜に帰宅することが多かった。美枝子さんはいまでも夜中に車のドアを開け閉めする音がすると、パッと目が覚め、次の瞬間に「あ、違うんだ」と気づく。
いまでも娘が舞台で歌っている夢を見たり、自分が不安定なときは「お姉ちゃんがいてくれれば」と思って泣いてしまう。だが坂本がそこにいてくれることで、ぽっかりと空いた心の穴が少しずつ埋められているという。
「冬美ちゃんが来るとみんなでこたつを囲んで食事をするんですが、彼女が座るのはお姉ちゃんが座っていた場所なんです。そうすると、最近はまるでお姉ちゃんが座っているように見えるの。一緒にご飯を食べ終わったときも、冬美ちゃんが『あぁ、お腹いっぱいになった』ってお腹をさすりながら言うのがあの子にそっくりで。最初にそれを聞いたとき、『お姉ちゃんも同じことを言っていたわ!』と思わず言ってしまいました(笑い)。
そうした何気なく、ふとした仕草がとても印象に残ります。だから冬美ちゃんがうちに来るとあの子が帰ってきたみたいですごくうれしいの。冬美ちゃんには、本当に感謝しています」(美枝子さん)
実家にある本田さんの部屋はいまも16年前のまま。壁には本田さんのポスターやカレンダーが貼られ、クローゼットには彼女の服がかかっている。シーツは美枝子さんが週1回欠かさず洗濯し、季節が変わると衣替えをする。どうしても洗えないでいるのが、手編みのひざ掛けだ。
「お姉ちゃんが入院中に一生懸命編んでいたひざ掛けなんです。結局完成させられなかったんだけど、お姉ちゃんが慕っていたかたが最後まで仕上げてくれました。これにはあの子の手垢がついているから、とても洗えない。あれから16年間洗っていません」(美枝子さん)
しかし、娘同然となった坂本の温かさもあり、美枝子さんの時間は少しずつ動き始めた。
「17回忌を前に、あの子が出演した番組など1000本近くあったビデオテープを片づけたんです。これまで手をつけられなかったけど、移せるものはDVDに焼いてもらってテープは事務所に送ったら、大きな段ボール7箱分になりました」(美枝子さん)
デビュー時から始まり、亡き後も続いた35年の友情。親友とともに前を向いて生きる母を見て、天国の本田さんも安心しているだろう。
※女性セブン2022年1月1日号