過去の『笑点』を振り返っても、隣同士は茶々を入れ合う関係性を生みやすい。五代目三遊亭円楽が司会を務めた1990年代前後には、三遊亭楽太郎(現・六代目円楽)が画面左隣の歌丸を「髪薄い」「霊柩車がやってきた」などとイジると、すぐに「腹黒い」と言い返されていた。
歌丸は左隣の林家木久蔵(現・木久扇)が回答の前振りとして「ナイジェリア」と言うと、先に「アルジェリア」とオチを当てていた。木久蔵が「いや~ん、ばかぁ~ん」と歌い出すと、歌丸は立ち上がって「円楽さん、席替えようよ~」と訴えた。席順による妙が『笑点』の黄金パターンを生んでいたのだ。
宮治は初登場回の2問目「様々な職業の人になって、いろんな状況で落語家の弟子入り志願をしてください」というお題で、こんな回答をした。
宮治:私、泥棒なんですけども、落語家になりたいんです。
昇太:大丈夫?
宮治:あ、そうですよね。昇太師匠はじめ、小遊三師匠、円楽師匠、たい平師匠、木久扇師匠の芸はなかなか盗めませんもん。
好楽:……今のなかに、俺の名前出てこねえじゃねえかよ。
昇太:好楽さんが入ってなかったことがすごい良かった。1枚あげて!
宮治が隣の好楽をネタにすると、昇太が乗ってきた。初登場で、1人をイジるだけでなく司会者を巻き込むパターンも生まれた。わずか1回で宮治は『笑点』にすんなり溶け込んだように見えた。それは図らずも、1990年代前後に存在感の薄かった好楽がいまや『笑点』の中心になっていることを証明した。
■文/岡野誠:ライター。笑点研究家、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では本人へのインタビュー、野村宏伸など関係者への取材などを通じて、人気絶頂から事務所独立、苦境、現在の復活まで熱のこもった筆致で描き出した。