『ニッポン男性アイドル史』の著者で社会学者・文筆家の太田省一さんは、御三家の武器は「圧倒的な若さ」だったと分析する。
「時期や年齢は少し違えど3人ともデビューは10代です。当時の歌謡曲の主流は演歌やムード歌謡など大人の世界を歌ったもの。そんな中で若さを全面に打ち出した御三家の存在は爽やかで新鮮なものでした。
舟木さんは高校生活を歌った青春歌謡でデビュー、橋さんも最初の『潮来笠』こそ演歌的な要素があったものの、その後はアップテンポのリズム歌謡がヒットしました。爽やかに歌い上げる曲が多かった先輩2人と比べて、西郷さんの曲には“情熱”や“男らしさ”を感じさせるようなものが多かった」
それを象徴する一曲が、1966年に発売された『星のフラメンコ』だ。
「当時の歌謡曲は直立不動で歌うのが当たり前でしたが、この曲で西郷さんはフラメンコ風のアレンジに合わせて自ら手拍子を打って歌いました。この振り付けはとても斬新でかっこよく、ファンはこぞって真似をしたものです。派手な振り付けとともに歌うスタイルは、後の『新御三家』の西城秀樹さんや郷ひろみさんなどにも受け継がれました」(太田さん)
戦後の復興期と重なる1960年代は“日本の青春時代”だった
3人をスターに押し上げたのは時代の空気でもあった。
「当時は高度成長期。戦争の爪痕がやっと薄れ、国全体が右肩上がりに豊かになり始めた頃です。まさに日本が迎えた青春時代。貧しさが残る一方、若い人が希望を抱きやすい時代でした。前向きで勢いのある空気の中に彗星のごとく登場した3人に、同世代の若者たちは強い憧れを抱くようになりました。
橋さんが吉永小百合さんとデュエットした『いつでも夢を』は、そうした空気感を象徴する一曲です。希望を胸に抱いて頑張ろうとする姿に多くの若者が共感しました」(太田さん)