──夫婦もコンビも長く続いています。秘訣は?
こぼん:お互いあまり干渉しないこと。嫁は好きなことをやってるから、それについてああでもない、こうでもない、とは言わないようにしています。
おぼん:コンビもお互い干渉しませんよ。でも、夫婦とコンビはたぶん違うと思う。
こぼん:漫才コンビはビジネスパートナーですから(笑い)。でも僕らはこの先、10年も20年もやれない。やれて5年でしょ。2年前に、全身性アミロイドーシスという難病で余命5~10年と宣告されましたから。
おぼん:70歳超えたら、やっぱり衰えが出てくる。先輩を見てても、あれだけ何万回もやってきたネタやのに、舞台出る前にネタ合わせして、それでも舞台で言葉が出てこなくなっている。オレらもそうなったらどうしようかな、と思うときがある。コンビはごまかしがきくからまだいいですけど、これが1人で漫談やってたら怖い。
こぼん:怖いですよ。とくに人の名前が出てこなくなる。笑いに変えられてる、と自分では思っていても、周りがどう見てるか、そのギャップが気になります。
おぼん:緊張感が大事やと思います。今に満足しないでね。毎日身体も鍛えてるよ。“朝のルーティーン”があって、朝起きたら15分ぐらいかけてラジオ体操やって腹筋、背筋、スクワット、シャドーピッチング……。40歳超えてから始めたから、もう30年やっています。ほかにも、週2~3回野球やって、多いときはゴルフも週1回。食事も1日3回規則正しくとってます。意外とキチンとしてるのよ(笑い)。おかげで元気すぎて、誰か何とかしてほしいほど。
こぼん:僕は昔から食事は1日2回。朝しっかり食べるから、昼はお腹すかない。夜はまずビールをコップ1杯。その後、ハイボールや焼酎をそれぞれ1杯ずつ。魚とか肉とかつまんで薬を飲む。運動は軽く、1日1万歩以上歩くようにしています。
──日頃の鍛錬が長く続ける秘訣でもありますね。
こぼん:振り返れば、「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ)でブレイクする前はレストランシアター「赤坂コルドンブルー」で10年やってて、そのころ横山やすし師匠に「新人賞とったから面倒みるぞ、大阪へ帰ってこい」と言われたこともありましたけど、「まだやり残してることがあるんで」と東京にとどまって、結局東京でやってきましたね。
おぼん:大阪帰ってたら、今頃どうなってたか。そもそもデビューのために東京へ来てなかったら、どうなってたやろ。
こぼん:わかんないですね。大阪では漫才やタップダンス、ジャズを歌うショーをやる「赤坂コルドンブルー」みたいなところはなかったですから。
おぼん:純粋に漫才しかやってなかったかもわからんね。コンビも別れてたかもわからん。
こぼん:そう思うと、よくやってきたな、と思います。どこでどうなるか、誰と出会うか、それは誰もわからないですけど。
おぼん:運命やね。人生3回大きなチャンスがあるといいますけど、73歳まで生きてきて、本当にその通りやと思います。最初のチャンスは相方との出会い。「お笑いスター誕生!!」が2回目のチャンス。3回目が今。
こぼん:結果的に良かった、ということやね。
【プロフィール】
おぼん・こぼん/漫才コンビ。1965年、大阪福島商業(現・履正社)高校の同級生でコンビ結成、デビュー。東京都内の演芸場を皮切りに、キャバレーやレストラン・シアター『赤坂コルドンブルー』などのステージで活動。人気を博す。1980年、伝説のオーディション番組『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)で10週勝ち抜きチャンピオンになり、一躍売れっ子コンビに。“漫才ブーム”を牽引した。お笑い界No.1“不仲コンビ”として知られ絶交状態だったが、2021年、『水曜日のダウンタウン』(TBS系)に出演したことで“奇跡の仲直り”を果たす。
おぼん:本名・井上博一。1949年2月2日生まれ。大阪府出身。大きいほう。
こぼん:本名・馬場添良一。1948年12月24日生まれ。兵庫県出身。小さいほう。
◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)