二谷の視点だけでなく、二人の後輩にあたる押尾という女性社員の視点からも語られ、交互に物語は進んでいく。
押尾は一年先輩の芦川をよく思っていない。優しく、笑顔をたやさない芦川だが、声の大きい相手や大人数と会うなど、自分の苦手なことはやろうとしない。前の職場でハラスメントを受けたことがあり、体調が悪くなれば仕事の途中でも早退する。そんな芦川を周りは温かく見守るが、しわ寄せを受ける押尾はいらだち、「芦川さんのこと苦手なんですよね」と二谷に言う。
「実はこの作品の前に、編集者に見せずにセルフボツにした原稿があるんですが、そこには押尾は出てきません。二谷と芦川さんが、職場恋愛をしていて、心から愛してるという感じじゃないのにうまくいってしまう恋愛小説を書こうとして、実際200枚ぐらい書いたんですけど、なんだかしっくりこなくて。芦川さんとは違うタイプの女性を、脇役でもいいから、と思って出てきたのが押尾です。結局、脇役にはおさまらなくて、3人が主人公ということになりました」
たぶん、女性読者の多くは、芦川より押尾に感情移入しやすいだろう。芦川視点からの描写はないので、彼女が何を考えているのかはよくわからず想像するしかない。押尾だけでなく、恋人の二谷も時に芦川を批判的に眺めることがあるが、芦川の弱さや、同僚として尊敬はできないところが、二谷の中では性的な感覚に結びついていたりもするから人間の内面は複雑だ。
「二谷も、押尾のほうが話は合うと思うんです。でも、この人が選んだり選ばれたりする相手は芦川さんなんだろうなって。自分が好きだから、というより、正解ルートを選び続けるのが二谷なんですよね。あんな友だちはいないし、モデルもいないんですけど、『この人知ってる』という感覚はあります。どの職場にも二谷のような人はいると思うし、自分の中にもいる気がするんです」
私はつくるのが面倒くさいから外食する派
小説の最後に、二谷はある選択をする。書いているうちに、自然と決まったそうだが、「そうなるかとびっくりした」と言う人もいれば、「そうなるだろうと思った」と言う人もいて、意見が分かれるらしい。
「好き好き大好きで結婚するのがすべてではないと思いますけど、大好きでもなく、尊敬している、めっちゃ面白い、わけがわからなくて気になる、そのどれにも当てはまらない人とずっと一緒にいようと決断するなんて、私には恐ろしいです。でも現実に、そういう人はいるんですよね。自分の心身の安定のために同じような選択する人はいるし、男女が逆でもありえると思います」
二谷の描かれ方で印象深いのは、食べることにまったく重きを置いていないところだ。芦川さんの時間をかけた手料理を食べても、彼女が寝たあとで、こっそり湯をわかしてカップ麺を食べて、ようやく「晩飯を食べた」気持ちになったりもする。