歌舞伎俳優の市川海老蔵(44)が今年11月と12月に「十三代目市川團十郎白猿」の襲名興行を行なうことが発表された。「市川團十郎」は歌舞伎界トップの大名跡だが、2013年に海老蔵の父である十二代目が亡くなった後、9年9か月もの間、空位となっていた。
2020年の東京オリンピックに合わせ、同年5月から7月の3か月にわたって開催される予定だったこの襲名興行だが、コロナ禍の影響により延期が続き、ファンがやきもきする中、ようやく今年の開催が発表されたのだ。ベテラン演芸記者はこう話す。
「ただ、当初は、3か月に渡る3部公演が決定していた中で、スケジュールの関係で11月、12月の2か月という期間になり、昼夜の2部公演に変更となった。スケールダウンは否めません。来年の春まで待てば、当初の予定通り3か月に渡る襲名披露ができたと言いますが、海老蔵さん周辺は2か月と期間の縮小をしても年内の開催を希望したそうです」
その背景には海老蔵の愛息の存在があったという。
「襲名公演では、合わせて息子の堀越勸玄君(9)も海老蔵さんの前名である『八代目市川新之助』を襲名し、歌舞伎俳優としての初舞台を踏みます。コロナ禍の中で、海老蔵さんは、何度も『自分はもう團十郎を襲名できなくてもいい。だけど、勸玄だけは、新之助を襲名させてやりたい』と話していました」(同前)
勸玄君が「新之助」の名を継ぐことには大きな意味がある。過去に「團十郎」の名を襲名した歌舞伎役者は皆はじめに「新之助」の名を継いでおり、十二代目市川團十郎も海老蔵も「新之助」を襲名した後、「海老蔵」、「團十郎」の名を継ぐ流れとなっている。勸玄君を“将来の團十郎”にするためには、今「新之助」の名を継がせられるかどうかが非常に重要な分岐点となるのだ。
「さらに勸玄君は幼いが故に、成長も早い。6歳の時に決めた演目を、成長した彼にやらせるわけにはいかないし、かといって日程が決定しなければ、新しい演目の稽古をつけるわけにもいかない。だから早めの開催を決めたのでしょう。
事実、海老蔵さんは、襲名が発表されたその夜のインスタライブで真っ先に『襲名披露公演では勸玄に、もともと決まっていた(演目の)“外郎売”はやらせない。“外郎売”は6歳の時の演目だから』と話しています。
情報がまだ極秘となっていた今年4月、尾上菊五郎さんが『團菊祭』の記者会見で、『年内には新しい團十郎が誕生する』とポロリとこぼしたのも、その海老蔵さんの“親心”に打たれ、『俺は応援しているからな』と彼なりのエールを送ったのではないでしょうか」(同前)