金から鉄、そして炭。事業の失敗がショボくなっていくのと比例して、生活もすさんでいった。源内が安永七年(1778年)に発表した戯作『歳暮』にはこんな句が残る。
《功ならず 名斗遂(なばかりおい)て 年暮れぬ》
あらゆる分野で有り余る才能を発揮しながら、いったい自分は何のために頑張ってきたのだろう……この時、源内は数え年で51。「人生五十年」を振り返って、暗澹たる思いに沈む源内の姿が想像できる。そして翌年の11月、源内は酒に酔った末の口論で町人を殺害して牢獄に繋がれる。その1か月後、獄中で破傷風菌に感染して人生を終えた。
源内の友人である蘭学医・杉田玄白(『解体新書』刊行者の一人)は、「処士鳩渓墓名碑」にこう刻んでいる(「鳩渓」は源内の号)。
《嗟非常人 好非常時 行是非常 何非常死》(ああ非常の人、非常の事を好み、非常を行ない、何という非常の死であったか)
「非常の人生」を爆走した挙げ句に破滅した源内。その生き様も「異能の人」らしかったといえるのかもしれない。そんな想像をしながら土用の鰻を味わうのも一興か。
※平賀源内(1728-1779)/讃岐国生まれの本草学者、蘭学者、事業家、戯作者、浄瑠璃作家、俳人、発明家。江戸に出て日本初の薬品会を企画。寒暖計製作やエレキテルの復元などでも知られる一方、奇書『風流志道軒』、浄瑠璃『神霊矢口渡』など著作多数の才人。
【筆者プロフィール】
竹内明彦(たけうち・あきひこ)/1951年、東京都生まれ。1976年に早稲田大学文学部を卒業後、出版社入社。退職後に江戸歴史文化検定協会理事を務めた。近著『文人たちの江戸名所』(世界書院)では平賀源内のほか、松尾芭蕉、新井白石ら、江戸文化人の異色エピソードとゆかりの地について、史料を紐解きながらコミカルに解説している。